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食と体調管理

「スポーツは楽しくて心身を健康にしてくれるものであってほしい」怪我と重圧に耐え続けた元バレーボール日本代表・大山加奈さんが感じたスポーツの価値と日々を支える食習慣

元川悦子

2024.10.01

――北京五輪への出場は叶いませんでした。

 手術を決める前に「手術すると競技復帰できないかもしれない」「北京も間に合わない」というのがあったので、2週間入院してひたすらベッドの上で点滴するという対処療法もしました。それでもやっぱりダメで、結局、北京オリンピックの最中に手術を受けることになりました。実際、本当にひどかった。日常生活がままならなくて、寝返りも打とうとするともう激痛があって泣きながら寝返りするぐらいのレベルでした。歩くことも結構大変だったので、手術するしかない状況でしたね。

――そこまでしても現役生活を続けようと思ったのは?

 私の病気は脊柱管狭窄症だったんですけど、通常は高齢者の発症が多いと言われていて、若い人には珍しかった。しかも、競技復帰した症例がないと言われて、「だったら、私が」と思ったんです。自分のためにもなるし、誰かのためにもなる。やる価値があるなと考えました。最初は「もう引退しようか」と思って、東レの監督と話をしようと思っていましたが、ふとその考えが浮かんだ。「私が復帰した一人目になるぞ」と。それで奮起しました。

――術後はどんな状況だったんですか?

 数年ぶりに痛みから解放されて、真っ直ぐ立てるようになったからすごくハイテンションでした。人って姿勢が上がるとポジティブになるんですよね。生まれ変わった感覚になりました。「ここからが私のバレーボール人生の第2章スタートだ」という前向きな感覚になっていました。ただ、そんな私を見て、小川先生だけが「カナがあの状態は危ない」と話をされていたそうです。結局、また痛みが出て、そこで心が折れてしまった。小川先生の予言通りになりました。本当に先生の経験値と観察眼はすごいなと思います(笑)。

――2010年6月の引退時はまだ26歳でした。

自分としては限界でした。またリハビリを頑張る気力が湧いてこなかった。それでも、多くの人を裏切ってしまうと思っていたから引退をすぐに決断できなかったんです。ケガをして、戦力にならない私を何年も支え続けてくれたチームには金銭的にもサポートしてもらったので。会社、ファンの方、そして何より親ですよね。

 悩んでいるとき親は私が引退を考えてるんだろうと察して「カナは自慢の娘だから胸張って帰っておいで」と言ってくれた。それで決断できました。多くの人を裏切ってしまうけど、親がそうやって自慢の娘だって思ってくれるんならやめてもいいなと考えることが出来ました。

――引退後のビジョンはありましたか?

 保育士さんになりたいと思っていたんですけど、腰がムリだなと。それならバレーボール界に恩返しをやっぱりしたいと考えて、東レに籍を置いたまま、Vリーグ機構に出向しました。ただ仕事は事務作業がメインで「これって私じゃなくてもいいのかな」と感じて、私ならではの恩返しの方法を考えたいと思って1年で東レに戻りました。その後は広報室に籍を置かせてもらって、バレーボールの普及活動や応援、解説をメインにして、現在に至っている感じです。
 
――新たなキャリアのやりがいは?

 必要とされることが嬉しいですね。現役最後のあたりは「自分はチームに必要ないんじゃないか」という気持ちを持ってしまってすごく辛かったんですけど、仕事をしてみなさんが喜んでくれたりする姿を見て、すごくモチベーションが湧きましたね。

 多い年だと子どもたちへの指導が40回、講演が40回というくらいの活動をしていて、網走や稚内、久米島とか人生で初めての場所にも行かせてもらいました。そこで小学生や中学生が喜ぶ姿を見て、こんな幸せな仕事はないなと感じています。「チームの監督が怖くてやめてしまったけど、このキャンプに来てバレーボールって楽しいなって思えた」と話してくれた子がいました。バレーの世界は怖い大人だけじゃないんだと伝えられて良かった。子どもだと目の前の環境しか知らず逃げ場がないこともあると思います。少しでも視野を広げる機会になってくれたらいいなと思って取り組んでいます。

――私生活では2020年には双子のお子さんを出産され、お母さんになりました。

 メンタル的にすごく変わりましたね。見返りを求めてこられなくなったと言うか、120%の純粋な愛をくれる存在と言うのかな。「こんなに自分を必要としてくれる存在がいるなら、嫌なことあっても別にいいか」と思えるくらいになりました。

 どんなお仕事も同じだとは思いますが、特にアスリートっていつも評価されてるじゃないですか。そういう中で、どんな自分でも認めてくれ愛してくれる存在がいるっていうのは本当に救われるなと。それを痛感しています。

――現在はWEリーグの理事やヴィアティン三重の女子のエグゼクティブアドバイザーの仕事もされていますが?

 いろんな競技の理事をやらせてもらっているんですけれど、元アスリートの立場であったり、働く女性という立場で物事を捉えてほしいという要望をいただいています。ただ、まだ十分にやれている実感がなくて、どちらかというと、私が理事会で勉強させてもらっているような感覚ですね。この経験を先々のスポーツ界に還元できたらなと思っています。

 PDMに関しては、スポーツ界やアスリートに必要な存在という認識があります。自分自身も現役時代にPDMのような人がそばにいてくれたら、違ったんじゃないかと思うので。アスリートが何かあった時に「この人に話したい」「この人なら話せるな」と思ってもらえる存在でありたいなと考えています。実際、アスリートが弱音を吐ける場所ってなかなかないと思います。「アスリート=強い人間」と見られがちで、自分を追い込んでしまい弱さを見せられない選手が多いと思うので、PDMが元アスリートであれば弱音も吐きやすいんじゃないかなと思っています。

――スポーツを頑張っているジュニアアスリートへのアドバイスをいただけますか?

 スポーツは本来、心身の健康を作ってくれて、エンジョイするものだと思うんです。でも、そうではなくアスリートを追い込んでしまうケースも多いのかなと思います。だからこそ、「何のためにスポーツやっているのか」というところを大事にしてもらいたいです。目標に向かって頑張ることも大切だし、素敵なことです。それ以上に「何のために」「なぜやっているのか」、そして「自分がどうなりたいか」をイメージしてもらえるといいかなと私は思っています。
 

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