――大山さんは子供時代から規則正しく、栄養バランスの取れた食事を心がけていましたか?
いえ、全然でした(苦笑)。でも食べることは大好きで、とにかくよく食べてましたし、出されたものは残さず食べるということは意識してました。「残さず食べろ」という教育は、母からも小学校の監督からも割と徹底されていたので、頑張って食べていましたよ。
――好き嫌いは多かったんですか?
そんなに多くはないんですけど、ミョウガの味噌汁とかはちょっと子供の味覚には難しかったですね(苦笑)。割と母が作るメニューだったので、「嫌だ」と言っても「食べなさい」っていう感じでした。それ以外だと、なすの味噌汁も苦手でしたね。当時はなすが大嫌いだったけど、これも食卓によく出てきましたね。
――大山さんは10代の頃から日本代表入りしていますが、栄養士さんからの指導とかを受けていたんですか?
代表活動の時は栄養士さんが作ってくれたものを食べるという感じで、栄養指導を受ける機会はなくて自分にもそこまで栄養に対する高い意識は持っていなかったです。高校時代だとお昼こそお弁当でしたが、朝食は購買やコンビニのおにぎりとかパンで済ませることもありました。
――東レに入ってからはどうでしたか?
寮で食事をするようになったので、バランスの方は改善されましたが、便秘が結構ひどい体質だったので、食物繊維を摂取するように心がけていました。発酵食品の納豆や漬物、キムチは出された食事以外に自分でも用意して食べていました。きのこに腸内環境を整える効果があるということで、栄養士さんが作ってくれるご飯には頻繁に出てきたおかげで、今も家に常備しています。
――腸内環境を整えるのにきのこが効果的と言われていますが、きのこを使った料理で好きなものはありますか?
味噌汁が好きですね。あとはバター炒めがおいしいですよね。ウチでも今、ベーコン炒めをよく作っています。一番使うのは、しめじですね。やっぱり使い勝手がいいので。しいたけも好きですし、エリンギも好きですし、まいたけもおいしいです。冷蔵庫に入ってる率は高いです。きのこを摂ったり、発酵食品を食べることで便秘になりやすい体質も改善されていきました。 ――大山さんにとって、ベストパフォーマンスを出すための食事というのは?
これというのはないんですが、和食の方が力は出るなというのが肌感覚としてありました。一番好きな食べ物はおにぎりなので、おにぎりを食べると元気になりますし、テンションも上がりますね。
――食べる量は?
意識していたわけじゃないんですけど、本当によく食べていました。小学校の高学年から中学生くらいの成長期の頃は、母が作ってくれたおにぎりを10個、一気に食べたこともありますよ(笑)。食べるのが大好きで、妹(元バレーボール・ビーチバレー選手の未希さん)と取り合いながら食べてました。
今、自分が食事を作る側になってみると、おにぎりを10個も握るだけで手間がかかりますし、当時の母はから揚げを2キロくらい揚げてくれましたが、もし将来、自分がそれを用意するとなったらちょっと嫌ですね(笑)。
――今、親になってお子さんの食事について考えることは?
タンパク質がどうしても少なくなりがちなので、しっかり摂らせることを意識したり、野菜もそんなに食べてくれるわけじゃないんで、いかに野菜を食べてもらえるメニューを作るかということは考えています。
ーーーーー
大山加奈/おおやまかな
1984年6月19日生まれ/ライツ所属/東京都江戸川区出身
成徳学園中学校―成徳学園(現下北沢成徳)高校―東レアローズ
小学校2年生からバレーボールをはじめ、小学校6年時の前日本バレーボール小学生大会(ライオンカップ)で全国制覇。「バレー界の金の卵」と注目される。成徳学園中学校時代には3年時に全国中学校大会制覇。成徳学園に進んでからも高校3年で高校総体、国体、春高バレーの三冠を達成。小中高全ての年代で頂点に輝いた。
高校時代の2001年に日本代表に初選出され、2002年5月の日米対抗でデビュー。同年の世界選手権とアジア大会(釜山)では唯一の高校生プレーヤーとして試合出場を果たす。2003年に東レアローズに入団。同年開催のワールドカップでは栗原恵(当時NECレッドロケッツ)とともに「メグカナ」と呼ばれ、19歳コンビが5位躍進の原動力となる。2004年アテネ五輪にも参戦。日本の新エースとして期待が高まったが、持病の腰痛が悪化。思うようにプレーできなくなる。2008年北京五輪期間に手術に踏み切り、完全復活を目指したが、2009年に再発。26歳になったばかりの2010年6月末に現役引退を決断した。
その後は日本バレーボール機構への1年間の出向を経て、東レに復帰。広報室に籍を置いてバレーボールの普及活動や解説業を手掛ける。2015年に結婚し、2020年に双子の女の子を出産。現在は子育ての傍ら、WEリーグ理事やヴィアティン三重女子のエグゼクティブアドバイザーにも就任するなど、公私ともに精力的に活動をしている。
いえ、全然でした(苦笑)。でも食べることは大好きで、とにかくよく食べてましたし、出されたものは残さず食べるということは意識してました。「残さず食べろ」という教育は、母からも小学校の監督からも割と徹底されていたので、頑張って食べていましたよ。
――好き嫌いは多かったんですか?
そんなに多くはないんですけど、ミョウガの味噌汁とかはちょっと子供の味覚には難しかったですね(苦笑)。割と母が作るメニューだったので、「嫌だ」と言っても「食べなさい」っていう感じでした。それ以外だと、なすの味噌汁も苦手でしたね。当時はなすが大嫌いだったけど、これも食卓によく出てきましたね。
――大山さんは10代の頃から日本代表入りしていますが、栄養士さんからの指導とかを受けていたんですか?
代表活動の時は栄養士さんが作ってくれたものを食べるという感じで、栄養指導を受ける機会はなくて自分にもそこまで栄養に対する高い意識は持っていなかったです。高校時代だとお昼こそお弁当でしたが、朝食は購買やコンビニのおにぎりとかパンで済ませることもありました。
――東レに入ってからはどうでしたか?
寮で食事をするようになったので、バランスの方は改善されましたが、便秘が結構ひどい体質だったので、食物繊維を摂取するように心がけていました。発酵食品の納豆や漬物、キムチは出された食事以外に自分でも用意して食べていました。きのこに腸内環境を整える効果があるということで、栄養士さんが作ってくれるご飯には頻繁に出てきたおかげで、今も家に常備しています。
――腸内環境を整えるのにきのこが効果的と言われていますが、きのこを使った料理で好きなものはありますか?
味噌汁が好きですね。あとはバター炒めがおいしいですよね。ウチでも今、ベーコン炒めをよく作っています。一番使うのは、しめじですね。やっぱり使い勝手がいいので。しいたけも好きですし、エリンギも好きですし、まいたけもおいしいです。冷蔵庫に入ってる率は高いです。きのこを摂ったり、発酵食品を食べることで便秘になりやすい体質も改善されていきました。 ――大山さんにとって、ベストパフォーマンスを出すための食事というのは?
これというのはないんですが、和食の方が力は出るなというのが肌感覚としてありました。一番好きな食べ物はおにぎりなので、おにぎりを食べると元気になりますし、テンションも上がりますね。
――食べる量は?
意識していたわけじゃないんですけど、本当によく食べていました。小学校の高学年から中学生くらいの成長期の頃は、母が作ってくれたおにぎりを10個、一気に食べたこともありますよ(笑)。食べるのが大好きで、妹(元バレーボール・ビーチバレー選手の未希さん)と取り合いながら食べてました。
今、自分が食事を作る側になってみると、おにぎりを10個も握るだけで手間がかかりますし、当時の母はから揚げを2キロくらい揚げてくれましたが、もし将来、自分がそれを用意するとなったらちょっと嫌ですね(笑)。
――今、親になってお子さんの食事について考えることは?
タンパク質がどうしても少なくなりがちなので、しっかり摂らせることを意識したり、野菜もそんなに食べてくれるわけじゃないんで、いかに野菜を食べてもらえるメニューを作るかということは考えています。
ーーーーー
大山加奈/おおやまかな
1984年6月19日生まれ/ライツ所属/東京都江戸川区出身
成徳学園中学校―成徳学園(現下北沢成徳)高校―東レアローズ
小学校2年生からバレーボールをはじめ、小学校6年時の前日本バレーボール小学生大会(ライオンカップ)で全国制覇。「バレー界の金の卵」と注目される。成徳学園中学校時代には3年時に全国中学校大会制覇。成徳学園に進んでからも高校3年で高校総体、国体、春高バレーの三冠を達成。小中高全ての年代で頂点に輝いた。
高校時代の2001年に日本代表に初選出され、2002年5月の日米対抗でデビュー。同年の世界選手権とアジア大会(釜山)では唯一の高校生プレーヤーとして試合出場を果たす。2003年に東レアローズに入団。同年開催のワールドカップでは栗原恵(当時NECレッドロケッツ)とともに「メグカナ」と呼ばれ、19歳コンビが5位躍進の原動力となる。2004年アテネ五輪にも参戦。日本の新エースとして期待が高まったが、持病の腰痛が悪化。思うようにプレーできなくなる。2008年北京五輪期間に手術に踏み切り、完全復活を目指したが、2009年に再発。26歳になったばかりの2010年6月末に現役引退を決断した。
その後は日本バレーボール機構への1年間の出向を経て、東レに復帰。広報室に籍を置いてバレーボールの普及活動や解説業を手掛ける。2015年に結婚し、2020年に双子の女の子を出産。現在は子育ての傍ら、WEリーグ理事やヴィアティン三重女子のエグゼクティブアドバイザーにも就任するなど、公私ともに精力的に活動をしている。