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"球界を超えた存在"ハンク・アーロンの訃報を受け、元大統領、NBAレジェンド、NFL選手が追悼

SLUGGER編集部

2021.01.23

レジェンド、アーロンが逝去。通算本塁打などの記録だけでなく、その

レジェンド、アーロンが逝去。通算本塁打などの記録だけでなく、その"挑戦"、生き様がアメリカに多大な影響を及ぼした。(C)Getty Images

 偉大なるレジェンドが鬼籍に入った。現地時間22日、メジャー歴代2位となる通算755本塁打、歴代最多2297打点を誇るハンク・アーロンが86年の生涯に幕を閉じた。

 1974年、アーロンは“野球の神様”ベーブ・ルースが持っていた通算714本塁打の記録を塗り替えてその名を歴史に刻んだ。しかしそれは、単に数字上の意味を持っていたわけではない。

「黒人選手」が「白人選手」の不可侵領域に踏み入る。昨今、BLM(Black Lives Matter)運動が注目されているように、現在に至っても人種差別は存在している。ましてや、アーロンが現役だった時代、公民権運動によって黒人への地位向上が図られたとはいっても、まだまだ差別意識は色濃く残っていた。

 1961年に“白人”のロジャー・マリスがルースのシーズン60号本塁打を塗り替えた時、同じ白人かつニューヨーク・ヤンキースの選手であるマリスでさえ、「記録の冒涜」「認めない」というメッセージが届き、円形脱毛症にも悩まされたという。当然。アーロンへの重圧はそれ以上だった。徐々にルースの記録に迫っていく中、球団事務所や自宅には数々の脅迫が届き、ボディーガードを雇わなければならないほど命の危険すらあった。

 しかし、アーロンは負けなかった。なぜなら、彼の後ろには快挙達成を心待ちにするファン、そして黒人たちの想いがあったからだ。そして彼がルースの記録を塗り替えた場所は黒人差別が激しかった南部アトランタの地だった。しかし球場に詰めかけた白人すらもスタンディングオベーションで称え、その瞬間に白人と黒人が“融和”したのだった。伝説のボクサーであるモハメド・アリが「アーロンは唯一の男だ。俺が自分よりも偶像崇拝する存在なのはね」と語るのも、歴史の文脈から切っても切れないのである。
 
 だからこそ、アーロンの逝去に関しては球界内外を問わず追悼のコメントが届いている。現球界最高のプレーヤーであるマイク・トラウトは「僕たちは真のレジェンドを失った」と嘆き、史上最高のDHであるデビッド・オティーズも「球場の内外問わず、レジェンドでした。史上最高の功績」と別れを惜しんだ。

 NFLシアトル・シーホークスのQBで黒人の血を引くラッセル・ウィルソンもこれに続いた。「ハンク……僕のパパとおじいちゃんは、あなたが球史を変えたことについていつも自慢していました。しかし、最も重要なことは、黒人差別があまりに強かった時代にあって、あなたの愛を通してアメリカを一つにしたことに感謝をしてもしきれません」と、歴史的文脈からその偉大さを説いている。

 アーロンと誕生日が7日しか変わらない、NBAシーズンMVP5回獲得のレジェンド、ビル・ラッセルも「周りに言われている以上に、アーロンはもっとずっと素晴らしい人物でした。彼の成し遂げたことは、野球という枠組みを超えたものでした」と敬意を表した。

 そして、アーロンと同じアフリカンアメリカンとして初の大統領になったバラク・オバマ氏もこう声明を出している。「ハンク・アーロンは我々が見た中でも最高の野球選手の一人であり、私が出会った方の中で最強の人間の一人でもありました。(妻の)ミシェルと私は、ハンクと奥様のビリーと過ごす度に、彼らの優しさ、寛大さ、そして優雅さに感銘を受け、彼らのような前世代の先駆者らの肩に乗せてもらっているのだと思い出させてもらいました」。

 球界という枠を超えた存在。アメリカを一つにした存在。アーロンの功績は本当に計り知れないものがある。シーズン終了後、MLB機構はその年最高の打者を称える賞として『ハンク・アーロン賞』を設立している。同賞がアナウンスされるたびごとに、球界は改めて彼の功績を思い出すことに違いない。

構成●SLUGGER編集部
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