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モータースポーツ

「F1は1日たりとも忘れることはない」 セナ、ラッツェンバーガーを失ったイモラの悲劇から30年。各国メディアが様々な角度から再脚光

THE DIGEST編集部

2024.05.04

イモラの悲劇から30年が経過した。(C) Getty Images

イモラの悲劇から30年が経過した。(C) Getty Images

 1994年のサンマリノ・グランプリは、F1史上最悪の週末として、今なお多くの人々の記憶に刻まれている。
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 4月30日に行なわれた予選2日目、シムテックのオーストリア人ベテランルーキー、ローランド・ラッツェンバーガーがアクアミネラリのシケイン(当時)で縁石に乗り上げてフロントウィングにダメージを負ったもののアタックを続けた結果、高速で走行中にウィングが脱落したことでコントロールを失い、310kmでヴィルヌーブ・カーブを直進してウォールに激突。トサ・コーナーまで惰性で転がっていった車はモノコックが裂け、露出した全身に致命的なダメージを負っていた彼は、ほぼ即死の状態だったという。
 
 それでも翌日にレースは強行され、スタート時の接触事故によってセーフティーカーが出動し、レースが再開された後の7周目、先頭を走るウィリアムズのアイルトン・セナが高速コーナー(当時)のタンブレロでコースアウトしてコンクリートウォールに直進。大破した「FW16」の中で一瞬、頭が動いたことで見る者に期待を持たせるも、その場で車から下ろされて緊急処置を受けた3度の世界王者は、ヘリコプターでボローニャ市内の病院に運ばれ、のちに頭部の深刻な損傷により、死亡が発表された。

 この2つの悲劇から30年が経ち、セナの命日である5月1日には、悪夢の舞台となったイモラの「アウトドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」で追悼式が行なわれ、ともに1960年生まれのドライバー2人に対して黙とうが捧げられ、記念碑に献花がなされている。

 これには、多くのファンの他、F1最高責任者(CEO)のステーファノ・ドメニカリ、イタリアのアントニオ・タイアーニ外務大臣、ブラジルのマウロ・ヴィエイラ外務大臣、オーストリアのアレクサンダー・シャレンベルク外務大臣、そしてセナの甥で元F1ドライバーのブルーノ・セナ、ラッツェンバーガーの両親らも、この式典に出席した。

 タイヤーニ外務大臣は、「彼らはスポーツの、そして彼らが代表する競技の、歴史そのものである」と2人のドライバーに対する敬意を表わし、ドメニカリCEOは「1994年5月1日は悲劇的な瞬間というだけでなく、将来の大きなインスピレーションでもある。あの週末から、F1は変わった。我々がこれを受け入れ、変化の兆候を示すために行動しなければならなかった。F1はセナとラッツェンバーガーの悲劇を1日たりとも忘れることはない」と、この悲劇がF1にとって重要な出来事だったことを強調している。

 セナの事故が起こった時間である14時17分にはイモラに雨が降り始め、「運命のしるしかもしれない」とドメニカリCEOと語ったが、この日はブラジルでも、セナの故郷であるサンパウロで、彼の眠るモルンビーの墓地や、サンパウロGPが開催されるインテルラゴスのサーキットなどで追悼のイベントが行なわれており、改めて世界中の人々が今は亡き英雄に思いを寄せたのだった。
 
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