MLB

35歳で夭折した"黒いルース"――ジョシュ・ギブソンの悲劇【ダークサイドMLB】

出野哲也

2020.04.15

ギブソンはクロフォーズ、グレイズとピッツバーグのチームで長年プレーした。この写真は40年にパイレーツの本拠地フォーブス・フィールドで撮影されたものだ。(C)Getty Images

 今季は開幕が延期になったため実現しなかったが、本来は毎年4月15日、MLBでは各球団の選手が一斉に背番号42のユニフォームを身に纏う。ジャッキー・ロビンソン・デー――1947年のこの日に、20世紀初の黒人メジャーリーガーとしてロビンソンがドジャースからデビューしたことを記念してのものだ。白人球界に楔を打ち込んだロビンソンは、有色人種/マイノリティの社会的地位向上を目指す運動のシンボルとなり、アメリカ史における20世紀の最重要人物の一人とまで目されるようになっている。

 だが、ロビンソンは黒人で当時最高の野球選手というわけではなかった。白人球界から隔絶された有色人種だけのプロ野球リーグ、ニグロリーグではロビンソン以上に実績を残していた者が何人もいた。中でもジョシュ・ギブソンは最大級のスターだった。自身も名捕手であるロイ・キャンパネラは「私が知っている中で最高の捕手、最高の選手」と口を極めて賞賛し、野球史のドキュメンタリー『Baseball』では「ギブソンは〝黒いベーブ・ルース〞と言われているが、〝ルースを白いジョシュ・ギブソン〞と呼ぶほうがふさわしい」と紹介されている。しかし、ギブソンがMLBでプレーする日はついに訪れなかった。ロビンソンがデビューする3か月前に、35歳の若さでこの世を去っていたからである。
 
「ルースのパワーとテッド・ウィリアムズの技術を兼ね備えていた」(黒人野球の語り部だったバック・オニール談)ギブソンには、その破格ぶりを伝えるいくつもの逸話がある。中でも一番の傑作はこれだろう。ある日、ピッツバーグでの試合でギブソンが放った打球は、球場のはるか彼方まで飛んで行ってそのまま見えなくなった。翌日、フィラデルフィアでの試合でなぜか空からボールが落ちてきて、野手のグラブに収まった。すると審判はギブソンを指さして宣告した。「アウト! あれは、君が昨日ピッツバーグで打ったボールだ」。

 もちろん、事実であるわけはない。だが、それほどまでにギブソンのパワーが凄まじかったことは伝わってくる。ヤンキー・スタジアムで34年に放った一発は、三階席を超えていって同球場史上唯一の場外弾となったという。ギブソン本人は「そこまでじゃない、センターのブルペンを超えただけだ」と否定していたが、この一撃以外にも特大アーチにまつわる伝説が数えきれないほど残されている。36年には年間170試合で84ホームランを打ったとされ、生涯で放った本塁打数は800本とも962本とも言われている。2001年に73本塁打の新記録を樹立したバリー・ボンズも「記録保持者は俺ではなくギブソンだ」と語っている。

 1911年にジョージア州で生まれたギブソンは、子供の頃にピッツバーグへ移り住んだ。15歳で学校を中退、工場で働きながらセミプロ球団に参加すると、たちまちその名を知られるようになった。29年には1歳年下のヘレン・メイソンと結婚するが、新妻は1年半後に双子を生んだ際に命を落としてしまう。ギブソンを見舞った最初の悲劇であった。