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MLB

新型コロナの犠牲になった最速“185キロ“のノーコン剛球左腕ダルコウスキーの破天荒伝説

宇根夏樹

2020.04.27

メジャーのマウンドには立てなかったがダルコウスキーだが、彼が残した数々の伝説は永遠に語り継がれていくだろう。(C)Getty Images

メジャーのマウンドには立てなかったがダルコウスキーだが、彼が残した数々の伝説は永遠に語り継がれていくだろう。(C)Getty Images

 テッド・ウィリアムズは、球史に残る名選手だ。名前だけではピンと来ない人も“最後の4割打者”と言えば分かるだろう。1941年に彼が打率.406を記録した後、シーズン打率4割に達した打者はいない。

 けれども、ウィリアムズに“史上最速の投手”と称された左腕、スティーブ・ダルコウスキーは無名の存在だ。それも無理はない。57年から65年までボルティモア・オリオールズなどのマイナーで投げたダルコウスキーは、メジャーのマウンドに上がることなくユニフォームを脱いだからだ。

 ダルコウスキーの球はとにかく速かった。オリオールズのマイナーで監督を務めていたアール・ウィーバーは「あいつの球は(ノーラン・)ライアンよりかなり速かった。信じ難いが、実際にそうだった」と言い、バッテリーを組んでいたカル・リプケンSr.は、その最速を115マイル(約185.0km)と見積もっていた。
 
 ただ、ダルコウスキーはコントロールに難があった。こちらも、とんでもないレベルだ。プロ1年目の57年は、62.0イニングで121三振を奪った一方で、129人を歩かせた。奪三振率18.2と与四球率18.7。その後も、制球は一向に定まらなかった。

 こんな話もある。58年に軍の施設で球速を測定した時のことだ。当時はまだスピードガンはなかった。ダルコウスキーの最速は93.5マイル(約150.4km)に過ぎなかったが、これは測定できる範囲に球を通すまでに40分も投げ続け、疲れきってしまったのが原因らしい。また、この時はマウンドではなく平坦な地面から投げていた。

 56年のスプリング・トレーニングで対戦したウィリアムズは、初球がアゴの下をかすめた直後に打席を去り、記者たちに「投球が見えなかった。二度と対戦したくない」と語った。速さもさることながら、そのコントロールに恐怖心を抱いたことが窺える。
 

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