元阪神のエースとして活躍したマット・キーオ氏が64歳で亡くなったと、『サンフランシスコ・クロニクル』が報じた。死因は不明。
1973年のドラフトで内野手としてオークランド・アスレティックスに入団したキーオ氏は、76年から投手転向。80年には16勝をマークした。その後、ニューヨーク・ヤンキースなど4球団を転々とした後、87年に阪神タイガースへと移籍した。
日本球界初となる、入団1年目の外国人選手が開幕投手を務めるという快挙を打ち立て、同年は11勝14敗、防御率3.80。貧打の阪神打線でありながら、3年連続で2桁勝利を達成した。故障もあって90年限りで日本を離れ、日米通算103勝。引退後はメジャーの複数球団で投手コーチを務め、今季はアスレティックスの投手特別補佐の任に就いていた。
5月2日にテレビ東京系『スポーツウォッチャー』にリモート出演した中畑清氏は、“魔球”の使い手としてキーオ氏のナックルカーブを紹介。「バッターの顔に向かってくるわけよ。思わず逃げたが、ブレーキが良く、見送ったボールがストライク。こんなバッターは使えませんよということで翌日から、私は先発を外れました。彼のおかげで現役が短くなりました」と、絶賛した直後の訃報となった。
構成●SLUGGER編集部
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1973年のドラフトで内野手としてオークランド・アスレティックスに入団したキーオ氏は、76年から投手転向。80年には16勝をマークした。その後、ニューヨーク・ヤンキースなど4球団を転々とした後、87年に阪神タイガースへと移籍した。
日本球界初となる、入団1年目の外国人選手が開幕投手を務めるという快挙を打ち立て、同年は11勝14敗、防御率3.80。貧打の阪神打線でありながら、3年連続で2桁勝利を達成した。故障もあって90年限りで日本を離れ、日米通算103勝。引退後はメジャーの複数球団で投手コーチを務め、今季はアスレティックスの投手特別補佐の任に就いていた。
5月2日にテレビ東京系『スポーツウォッチャー』にリモート出演した中畑清氏は、“魔球”の使い手としてキーオ氏のナックルカーブを紹介。「バッターの顔に向かってくるわけよ。思わず逃げたが、ブレーキが良く、見送ったボールがストライク。こんなバッターは使えませんよということで翌日から、私は先発を外れました。彼のおかげで現役が短くなりました」と、絶賛した直後の訃報となった。
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