プロ野球

【2010年代通信簿:阪神】ベテランと助っ人が存在感を発揮した一方で若手が思うように伸びず

藤原彬

2020.06.03

藤川をはじめベテランの奮闘が目立った10年代の阪神だが、若手の成長という点では課題が残った。写真:朝日新聞社

 2020年、新たな年代が幕を開ける。ここで改めて、各チームの過去10年間の戦績を通信簿形式で評価してみたい(通信簿は「よくできました」「まずまずです」「可もなし不可もなし」「がんばりましょう」の4段階)。今回は常に熱狂的なファンの支えられる阪神の10年代を振り返る。

■2010年代通算成績
692勝698敗45分(勝率.498)/セ・リーグ3位(12球団6位)
日本一:0回 リーグ優勝:0回 CS進出6回

通信簿:可もなし不可もなし

 10年間で2位が4度、クライマックスシリーズ進出6度はセ・リーグでは巨人に次ぐ多さで、14年には日本シリーズに出場した。だが、10年間の通算では勝率5割を下回るなど、物足りなさも残った。

 10年代を振り返ると、常にチームの中心にいたのが、実力と経験を備えたベテランと助っ人たちだ。ベテランは生え抜きの鳥谷敬や能見篤史、メジャー移籍を挟んで戻ってきた藤川球児に加え、補強で獲得した選手も多かった。00年代から在籍する金本知憲や新井貴浩に、城島健司や福留孝介、西岡剛らメジャー復帰組、17年から加入した糸井嘉男もチームをけん引した。

 助っ人外国人では、10年間にわたって在籍し、通算98勝を挙げたメッセンジャーを筆頭に、マートンやドリス、呉昇桓、ゴメスが投打でタイトルを獲得する活躍を見せた。


 一方、ベテランと外国人への依存が、次代を担うべき若手にとっての障壁にもなった。彼らと並び立つような選手が台頭しなかったことが、一度もリーグ優勝に届かなかった最大の要因と言っても過言ではない。金本や鳥谷が衰えても連続出場記録を伸ばし続けた陰で、20代のうちに不動のレギュラーと呼べる存在になったのは梅野隆太郎だけだった。

 特に苦心したのが打線の中軸を担う強打者の育成。16年に新人王を獲得した高山俊、17年に10年代唯一の生え抜き20本塁打をクリアした中谷将大は活躍が続かず、16年ドラフト1位の大山悠輔もまだ本格開花に至っていない。