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ハラデイは「野球以外」とも戦っていた――完璧を求めた、2000年代最強右腕の死の真実

杉浦大介

2020.05.31

投球も人格も“完璧”だったハラデイ。それゆえに彼は薬物に頼ることになった。(C)Getty Images

投球も人格も“完璧”だったハラデイ。それゆえに彼は薬物に頼ることになった。(C)Getty Images

 2010年にマイアミでのマーリンズ戦で達成した完全試合から、10周年を迎えた現地時間5月29日――。ESPNで『Imperfect: The Roy Halladay Story』と題されたロイ・ハラデイのドキュメンタリーが放送された。

 2000年代に“球界のエース”と称され、最多勝とサイ・ヤング賞を2度ずつ獲得するなど輝かしい実績を残したハラデイ。しかし、晩年は故障に苦しみ、13年に引退を余儀なくされる。そして17年11月7日、自ら操縦した小型飛行機の事故で40歳で逝去し、遺体から複数の薬物が検出されたことが報じられた。

「誰も完璧ではありません。誰もが不完全で、欠点を持っています。ただ、苦しむ中でも献身的なハードワークを続けることで、不完全な人間でも完璧な瞬間を経験できるのです」。ハラデイの中に“悪魔”が存在していたことは昨年、名誉の殿堂入りの際にブランディ夫人が残したスピーチでも、ほのめかされてはいた。

 今回、大きな注目を浴びて公開されたドキュメンタリーでは、ハラデイが現役時代から薬物中毒に苦しんでいたことを家族が初めて告白している。登板前はプレッシャーから逃れるため睡眠薬に頼り、また故障が増えて以降は、チームドクターではない人間から現金で購入した鎮痛剤が手放せなかったという。麻薬性鎮痛薬オピオイド、アンフェタミン、抗うつ剤などへの依存は引退後も続いた。死亡事故の後には、薬物が事故の原因の一つになったのではないか、という疑いも持たれた。
 
「何人かの人がロイについて『彼はこんな人だ、あんな人だ』と言おうとしました。ただ、扉の向こうで何が起こっているかは、誰も知らなかったんです」

 10代前半の頃からハラデイを支え、ともに“悪魔”と戦い続けたブランディ夫人の赤裸々な言葉は胸に響いてくる。

「ハラデイほどリスペクトされた投手はほとんどいない」。ドキュメンタリーで流されたアレックス・ロドリゲスの言葉に、ハラデイの現役時代を知るものは誰もが頷くのではないか。

 ハラデイは1998年にブルージェイズの一員としてデビューすると、以降の16年間で通算203勝、防御率3.38をマーク。無理のないスムースなフォームから多彩な球種を完璧に操り、スタミナも抜群。220イニング以上を投げたシーズンは8回を数え、リーグ最多完投も計9度、通算67完投(20完封)と、文字通り“試合を最後まで支配”していた投手だった。

 トロント・ブルージェイズ、フィラデルフィア・フィリーズという両リーグの東地区に属した彼の投球を、筆者は頻繁に現場で目の当たりにする幸運に恵まれた。中でも最も印象に残っているのは、冒頭に挙げた完全試合ではなく、同じ2010年の地区シリーズ第1戦で達成した、プレーオフ史上2度目となるノーヒッターである。
 
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