5回を迎える頃には、おそらく球場全体が快挙を予感し、実際に楽々とノーヒッターを達成してみせた。舞台の大きさを考慮すれば、これまでの取材歴で見た中でも最高のピッチング・パフォーマンスだった。しかも、彼にとってプレーオフの初登板でもあったのだ。まるで白い炎が燃え盛るようだったハラデイの静かな気迫を、以降も忘れたことはない。
だからこそ、これほどのピッチャーが薬物依存に苦しんでいたとは、ほとんど信じられないというのが正直なところではある。誰よりも規律正しく、練習熱心なことで知られたハラデイは、フィールド、マウンド上でも常に冷静沈着。さまざまな意味で完璧に近く、エースの理想像を体現するような投手だった。
しかし、ブランディ夫人によると、周囲にそう思われること自体がハラデイには重荷になっていたのだという。「常に完璧であることを期待され、そうであろうとしていました。それは彼にとって辛いことだったのです。どういうわけか、彼は自分にはミスは許されないと信じ切っていて、そのことに苦しみ続けていました」。
成功への渇望が失敗への恐怖となり、故障の後でも周囲を裏切ってはいけないという思いが巨大なプレッシャーとなった。その繰り返しの中で、“球界のエース”は自らの手で自分自身を追い込んでいってしまった。
13年当時のインタビュー映像を見ると、確かにこの時から言葉はスローで目も虚ろ。異常に発汗していたという証言もあり、薬物の問題を抱えていることは、今にしてみれば明白だった。その年のオフにフロリダ州の薬物リハビリセンターに入所したものの、自身の苦難が露出することを恐れてリハビリを完遂できなかったという。
17年の飛行機事故と薬物の直接の関連は不明としても、精神的な不安定さが操縦に影響を及ぼしたと考えるのは、決して論理の飛躍ではないだろう。こういった負の連鎖を知ると、例えようもない悲しみを感じずにはいられない。もっと早い段階で、より抜本的な対策が講じられていたのではないか……。
ただ、救いがあるとすれば、悲劇の後でも、ESPNで放送された今回のドキュメンタリーがポジティブな目的で製作されたことだ。亡くなった17年には息子の高校の投手コーチとしてハラデイが充実した時間を過ごしていたこと、さらには死亡事故当日の様子などから、家族は一部で囁かれた自殺説を否定している。その上で、ハラデイは必要なヘルプを得られなかったという現実からは目を背けず、ブランディ夫人は最後にこんなメッセージを送っている。
「私たちの話を聞いた人には、『(必要な時には)助けを求めよう』と思ってほしいんです。たった一人でもそうしてくれたなら、私たちは正しいことをしたと思えるでしょうから」
誰も完璧ではないし、そうである必要はない。完璧ではないことを恥じる必要もない。余りにも早過ぎる年齢で、マウンドを、そしてこの世を去ったハラデイのストーリーはそんな真実を痛烈な形で教えてくれているようでもある。今回のドキュメンタリーで成されたように、今後、そのメッセージを伝え続けることが遺されたものたちの使命となっていくのだろうか。
取材・文●杉浦大介
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