打者も投手も主要3部門のタイトル獲得は、リーグで突出した存在の証明と言える。ならば、その通算獲得数は歴代最高の選手を論じる上でのバロメーターにもなるだろう。最後に、パ・リーグで最も多く最優秀防御率、最多勝、最多奪三振に輝いた選手をベスト5形式で紹介する。※防=最優秀防御率、勝=最多勝、振=最多奪三振(連盟表彰のなかった時代もカウント)
1位 稲尾和久 12回(防5回、勝4回、振3回)
1位 鈴木啓示 12回(防1回、勝3回、振8回)
3位 野茂英雄 9回(防1回、勝4回、振4回)
3位 松坂大輔 9回(防2回、勝3回、振4回)
5位 村田兆治 8回(防3回、勝1回、振4回)
リーグの特徴を表すかのように、いずれも劣らぬ豪傑ばかりだ。
稲尾は別府緑丘高から西鉄へ入団した1956年にいきなり防御率のタイトルを獲得すると、翌年には当時のプロ野球最長記録である20連勝を達成。同年から2年連続で最優秀防御率と最多勝の二冠&MVPに輝いた。58年の日本シリーズでは7戦中6試合に登板(4完投)する獅子奮迅の働きで3連敗からの4連勝の大逆転勝ちに貢献し、「神様、仏様、稲尾様」と称えられた。今で言うカットボールとシュートを武器とした“鉄腕”は、61年にシーズン記録の42勝を樹立。最後のタイトル獲得は26歳と全盛期は長くはなかったが、主要3部門のタイトル獲得はパ・リーグ最多タイの12回を数える。
一方、鈴木は長きにわたって第一線で活躍。近鉄在籍20年で築いた通算317勝は歴代4位、先発で挙げた通算287勝は歴代最多だ。「草魂」を胸に持ち前の剛速球で打者と真っ向勝負を続け、2年目(67年)から6年連続で奪三振王となったが、その代償として被本塁打が多く歴代最多の560本を浴びた。74年に最多奪三振を獲得した後はしばらく無冠が続いたが、球種を増やして投球を見直すと、77年から2年連続で最多勝、翌78年は最優秀防御率との二冠で盛り返し。ノーヒットノーランも2度達成している。
1位 稲尾和久 12回(防5回、勝4回、振3回)
1位 鈴木啓示 12回(防1回、勝3回、振8回)
3位 野茂英雄 9回(防1回、勝4回、振4回)
3位 松坂大輔 9回(防2回、勝3回、振4回)
5位 村田兆治 8回(防3回、勝1回、振4回)
リーグの特徴を表すかのように、いずれも劣らぬ豪傑ばかりだ。
稲尾は別府緑丘高から西鉄へ入団した1956年にいきなり防御率のタイトルを獲得すると、翌年には当時のプロ野球最長記録である20連勝を達成。同年から2年連続で最優秀防御率と最多勝の二冠&MVPに輝いた。58年の日本シリーズでは7戦中6試合に登板(4完投)する獅子奮迅の働きで3連敗からの4連勝の大逆転勝ちに貢献し、「神様、仏様、稲尾様」と称えられた。今で言うカットボールとシュートを武器とした“鉄腕”は、61年にシーズン記録の42勝を樹立。最後のタイトル獲得は26歳と全盛期は長くはなかったが、主要3部門のタイトル獲得はパ・リーグ最多タイの12回を数える。
一方、鈴木は長きにわたって第一線で活躍。近鉄在籍20年で築いた通算317勝は歴代4位、先発で挙げた通算287勝は歴代最多だ。「草魂」を胸に持ち前の剛速球で打者と真っ向勝負を続け、2年目(67年)から6年連続で奪三振王となったが、その代償として被本塁打が多く歴代最多の560本を浴びた。74年に最多奪三振を獲得した後はしばらく無冠が続いたが、球種を増やして投球を見直すと、77年から2年連続で最多勝、翌78年は最優秀防御率との二冠で盛り返し。ノーヒットノーランも2度達成している。