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MLB

メッツが球団レジェンドのシーバーを様々な方法で追悼。弔旗を掲げて黙祷、そして…ユニフォームのヒザに泥?

宇根夏樹

2020.09.10

3日の試合に出場したメッツの選手たちの右ヒザには、よく見ると泥がついている。(C)Getty Images

3日の試合に出場したメッツの選手たちの右ヒザには、よく見ると泥がついている。(C)Getty Images

 メッツのユニフォームの右袖には、9月4日から黒い円に白く41と描かれたパッチが付くようになった。これは、トム・シーバーの死去を悼むものだ。レビー小体型認知症と新型コロナウイルスの合併症により、シーバーは8月31日に75歳で亡くなった。

 ニックネームの“ザ・フランチャイズ”は、メッツにおけるシーバーの存在の大きさを表している。1967年にメジャーデビューし、16勝13敗、防御率2.76の好成績で新人王を受賞したシーバーは、以降チームの中心的な存在となった。69年には25勝を挙げて初のサイ・ヤング賞を受賞。球団初の世界一を成し遂げ、“ミラクル・メッツ”と呼ばれたチームを牽引した。メッツにはトータルで12シーズン在籍し、198勝、2541奪三振をはじめ、様々な球団記録を持つ。3度のサイ・ヤング賞はいずれもメッツ時代に受賞し、背番号41も永久欠番に指定されている。

 球団史上最大のレジェンドに対し、メッツはさまざまな方法で追悼の意を表した。死去が報じられた直後の3日に本拠地シティ・フィールドで行われたヤンキース戦では、球場入り口の一つであるシーバー・ゲートに弔旗を掲げ、国旗や優勝バナーは半旗とした。スコアボードの表示は69年のシェイ・スタジアム風に変え、ダグアウトには背番号41のユニフォームを吊るした。試合前にはトリビュート・ビデオを流し、両チームの選手が黙祷を捧げた。無観客試合のため入場できないにもかかわらず、球場を訪れてゲートの前に花を供えるファンも少なからず見受けられた。
 
 そして、もう一つ。映像をご覧になった方は気づいたかもしれないが、メッツの全選手の右ヒザは、試合前にもかかわらず土が付いて汚れていた。これもまた、シーバーへの哀悼を示すものだ。

 シーバーの投球フォームは、典型的なドロップ&ドライブだった。左足を上げた後、重心をグッと落として(ドロップして)から前方へ動いて(ドライブして)投げる。それにより、ユニフォームの右ヒザにはしばしば土が付着した。誰が言い出したのかは不明ながら、シーバーの特徴をよく捉えたこの“汚れ”は、、シーバーに対する最大のリスペクトなのだ。

 メッツはこの試合でヤンキースの先行を許し、2回と8回にはそれぞれ3点差以上も離されたが、そのまま引き下がることなくいずれも同点に追いついた。特に土壇場の9回裏には、ヤンキースのクローザーであるアロルディス・チャップマンから、JD・デービスが劇的な同点ホームラン。試合に決着をつけたのは若きリーダーのピート・アロンゾで、10回裏にキャリア初のサヨナラ本塁打を放って、シーバーへ勝利を手向けた。後輩たちの繰り広げた名勝負を、シーバーは空の上で見守ってくれていたことだろう。

文●宇根夏樹

【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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