1950年代から60年代前半にかけて活躍し、ヤンキースの球団記録となる通算236勝を挙げた殿堂入りの名左腕投手、ホワイティ・フォード氏が、現地時間8日にニューヨーク州の自宅で亡くなった。享年91歳。訃報は9日、ヤンキースが発表した。
フォード氏は50年に21歳でメジャーに初昇格し、いきなり9連勝と強烈なデビューを飾る。またこの年は、フィリーズとのワールドシリーズ第4戦でも勝利投手となり、ヤンキースの世界一に貢献した。続く51~52年は兵役で棒に振ったものの、53年に復帰するとブランクをものともせず、チーム最多の18勝を挙げた。
その後も卓越したコントロールと頭脳的なピッチングで13年連続2ケタ勝利を挙げるなど、ヤンキースのエースとして活躍。55年には18勝で自身初のタイトルとなる最多勝を獲得した。リーグ最多の25勝を挙げてサイ・ヤング賞にも選ばれた61年には、リーグ最多の283.0回を投げながら1度も盗塁を許さなかったという驚異的な記録も持つ。
67年に引退するまでヤンキース一筋に活躍し、236勝、45完封、3170.1投球回、438先発はすべて球団記録。通算勝率.690は、1900年以降に200勝以上を挙げた投手の中では史上1位だ。また、ワールドシリーズには11度出場して6度チャンピオンリングを獲得。61年のレッズとの対決では、2先発して1点も与えない快投を見せ、シリーズMVPに輝いた。通算22試合に先発して10勝、94奪三振は、今も史上最多記録として残る。なお、2日に亡くなったボブ・ギブソンとは、64年のワールドシリーズで対決した間柄だ(ただしこの時、フォードは第1戦に先発したのみで、第2、第5、第7戦に先発したギブソンと直接対決することはなかった)。
死去を受けてヤンキースは、公式ツイッターを通じて共同オーナーのハル・スタインブレナーが追悼メッセージを発表。「ホワイティの名と業績は、ベースボールの歴史に永遠に刻まれている」とその実績を称えた。また、10日のレイズとの地区シリーズ第5戦では、フォードの現役時代の背番号にちなみ、選手たちがユニフォームの袖に16のパッチを着けてプレーした。
構成●SLUGGER編集部
フォード氏は50年に21歳でメジャーに初昇格し、いきなり9連勝と強烈なデビューを飾る。またこの年は、フィリーズとのワールドシリーズ第4戦でも勝利投手となり、ヤンキースの世界一に貢献した。続く51~52年は兵役で棒に振ったものの、53年に復帰するとブランクをものともせず、チーム最多の18勝を挙げた。
その後も卓越したコントロールと頭脳的なピッチングで13年連続2ケタ勝利を挙げるなど、ヤンキースのエースとして活躍。55年には18勝で自身初のタイトルとなる最多勝を獲得した。リーグ最多の25勝を挙げてサイ・ヤング賞にも選ばれた61年には、リーグ最多の283.0回を投げながら1度も盗塁を許さなかったという驚異的な記録も持つ。
67年に引退するまでヤンキース一筋に活躍し、236勝、45完封、3170.1投球回、438先発はすべて球団記録。通算勝率.690は、1900年以降に200勝以上を挙げた投手の中では史上1位だ。また、ワールドシリーズには11度出場して6度チャンピオンリングを獲得。61年のレッズとの対決では、2先発して1点も与えない快投を見せ、シリーズMVPに輝いた。通算22試合に先発して10勝、94奪三振は、今も史上最多記録として残る。なお、2日に亡くなったボブ・ギブソンとは、64年のワールドシリーズで対決した間柄だ(ただしこの時、フォードは第1戦に先発したのみで、第2、第5、第7戦に先発したギブソンと直接対決することはなかった)。
死去を受けてヤンキースは、公式ツイッターを通じて共同オーナーのハル・スタインブレナーが追悼メッセージを発表。「ホワイティの名と業績は、ベースボールの歴史に永遠に刻まれている」とその実績を称えた。また、10日のレイズとの地区シリーズ第5戦では、フォードの現役時代の背番号にちなみ、選手たちがユニフォームの袖に16のパッチを着けてプレーした。
構成●SLUGGER編集部