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プロ野球

ライオンズを支えた不屈の左腕・高橋朋己が引退。ファンの心に刻まれた雄姿と平良へ受け継がれる思い

nerimamo

2020.10.23

チームのために腕も折れよと投げ続けた高橋の姿は、ファンの心にいつまでも刻まれるだろう。写真:産経新聞社

チームのために腕も折れよと投げ続けた高橋の姿は、ファンの心にいつまでも刻まれるだろう。写真:産経新聞社

 西武の元守護神・髙橋朋己が、8年間のプロ生活に幕を下ろす。通算52セーブのうち、51セーブはプロ入り3年目の2015年までにマークしたもの。キャリアの後半5年間は怪我との戦いだったが、その姿はライオンズファンの心に深く刻まれた。

 13年のデビューはまさに鮮烈だった。プロ入り前に左肩を痛めていたが、リハビリの結果それが癒え、8月15日にプロ初登板を果たす。この時は0.2回を1失点という平凡なものだったが、そこから徐々に頭角を現し、9月以降の18登板ではわずか2失点。それまで4位に沈んでいたチームの2位躍進に大きく貢献した。

 特に10月2・3日のホークスとの2連戦では、2日にピンチで中村晃を三振に取り、翌3日は打者5人を完全投球で封じてチームを連勝へと導いたのが印象深い。当時の西武はリリーフ防御率はリーグ最下位だっただけにファンの期待は大きく、名前の「ともみ」とかけた登場曲、E-girlsの『Follow Me』とともに一躍人気選手となった。

 そして、翌14年は開幕直後から守護神に定着し、チームが5位に低迷する中で孤軍奮闘し、63試合に登板して29セーブ、リリーフではリーグ2位の奪三振率11.49を記録と圧巻の投球を披露した。

 しかし、プロ3年目の15年から少しずつ歯車が狂い始める。この年は前半戦に3連投が4度もあるなど、他に頼れる投手が少ない中で好調な高橋に大きな負がかかった影響か、7月中旬頃からセーブ失敗が相次いだ。高橋の不調と重なるように、チームも7月14日から8月4日にかけて、球団史上ワーストの13連敗を喫してしまった。この年は9月下旬に右足の骨折でひと足早くシーズン終了となったが、酷使の影響はすぐそこまで忍び寄っていた。
 
 翌16年は左ヒジの張りで開幕間もない4月に登録抹消され、7月にトミー・ジョン手術を受けたことが発表された。そこから1年以上が経過した17年10月に復帰登板を果たしたものの、この年はわずか3登板。再起を期した18年には、今度は左肩を痛めてしまった。この年のオフに育成契約に切り替えられ、その後は2度と一軍のマウンドに戻ることはなかった。

 高橋不在の18、19年にリーグ連覇を果たした西武は、19年に平井克典がパ・リーグ記録の81試合に登板するなど好調なリリーフに頼りすぎる傾向はまだ残っていたが、今季は平良海馬を始めとして信頼できる投手が増え、球数管理の考え方も少しずつ根付いてきた。今のように大事に扱えってもらえる環境で投げられていたら、高橋はリーグを代表するクローザーとして長く活躍できたのではないか? ファンとしては想像せずにいられないだろう。

 なお、高橋の代名詞だった登場曲『Follow Me』は今、平良に受け継がれている。平良が高橋の復活を願って使うことにしたのだという。ファンもその思いに応えるように、平良の登場時に、かつて高橋の応援グッズだったピンク色のタオルを振り回すファンも多い。長いリハビリのさなかには、「ファンはもう自分のことを覚えていないんじゃないか」と弱音を口にしたこともあった高橋だが、ライオンズの低迷期を支えてくれた彼が再びマウンドへ戻ってくるのを、ファンの誰もが願っていたのだ。残念ながらその願いは叶わなかったが、かつてライオンズを支えた不屈の左腕の雄姿を、いつまでも語り継いでいきたいと思う。

文●nerimamo

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