本拠地札幌ドームでの今季最終戦となる9月27日、日本ハムは田中賢介の引退セレモニーを行う。
田中は1999年ドラフト2位で日本ハムに入団。しばらくは一軍に定着できない時期が続いたが、チームの北海道移転3年目となる2006年に花が開く。東福岡高時代に守ったショートではなく、プロ入り後に取り組んだセカンドでレギュラーの座を固めた。13年から2年間はアメリカでのプレーしたが、15年に日本ハムへ復帰。日本での実働は18年で、チームが北海道に移転してからの在籍14年は歴代最長だ。
そんな田中の功績を北海道移転後の通算記録で振り返ると、走攻守における貢献がいかに高かったか見て取れる(※数字はすべて9月25日現在)。
【試合】
1.田中賢介 1357
2.中田翔 1302
3.稲葉篤紀 1190
4.小谷野栄一 1084
5.金子誠 1005
【打席】
1.田中賢介 5723
2.中田翔 5393
3.稲葉篤紀 4618
4.西川遥輝 4140
5.小谷野栄一 4090
一軍デビューを果たした06年に125試合に出場すると、翌07年からは3年連続全試合出場。日本復帰2年目の16年にも全試合に出場するなど、労働量の多さが高い献身を示している。08、09年はいずれもリーグ最多の打席に立った。
【安打】
1.田中賢介 1420
2.中田翔 1218
3.稲葉篤紀 1195
4.小谷野栄一 983
5.西川遥輝 980
【打率】※2000打席以上
1.近藤健介 .304
2.糸井嘉男 .302
3.稲葉篤紀 .288
4.田中賢介 .287
5.西川遥輝 .284
一軍の戦力として台頭した直後の06、07年はリーグ最多の犠打を記録するなどつなぎ役に徹したが、08年からは主に1番や3番を任され、コンスタントに安打を放ちながら3割前後の打率を安定して残した。最後まで首位打者争いを繰り広げた10年はタイトルに手は届かずも、193安打と打率.335はともにリーグ2位だ。
田中は1999年ドラフト2位で日本ハムに入団。しばらくは一軍に定着できない時期が続いたが、チームの北海道移転3年目となる2006年に花が開く。東福岡高時代に守ったショートではなく、プロ入り後に取り組んだセカンドでレギュラーの座を固めた。13年から2年間はアメリカでのプレーしたが、15年に日本ハムへ復帰。日本での実働は18年で、チームが北海道に移転してからの在籍14年は歴代最長だ。
そんな田中の功績を北海道移転後の通算記録で振り返ると、走攻守における貢献がいかに高かったか見て取れる(※数字はすべて9月25日現在)。
【試合】
1.田中賢介 1357
2.中田翔 1302
3.稲葉篤紀 1190
4.小谷野栄一 1084
5.金子誠 1005
【打席】
1.田中賢介 5723
2.中田翔 5393
3.稲葉篤紀 4618
4.西川遥輝 4140
5.小谷野栄一 4090
一軍デビューを果たした06年に125試合に出場すると、翌07年からは3年連続全試合出場。日本復帰2年目の16年にも全試合に出場するなど、労働量の多さが高い献身を示している。08、09年はいずれもリーグ最多の打席に立った。
【安打】
1.田中賢介 1420
2.中田翔 1218
3.稲葉篤紀 1195
4.小谷野栄一 983
5.西川遥輝 980
【打率】※2000打席以上
1.近藤健介 .304
2.糸井嘉男 .302
3.稲葉篤紀 .288
4.田中賢介 .287
5.西川遥輝 .284
一軍の戦力として台頭した直後の06、07年はリーグ最多の犠打を記録するなどつなぎ役に徹したが、08年からは主に1番や3番を任され、コンスタントに安打を放ちながら3割前後の打率を安定して残した。最後まで首位打者争いを繰り広げた10年はタイトルに手は届かずも、193安打と打率.335はともにリーグ2位だ。