FA選手の獲得は、まさにオフの補強の“目玉”。それだけに選手にかかる期待は大きいが、必ずしも期待に応えられる者ばかりではない。ここでは、移籍後にファンをガッカリさせた5人のFA選手を、独断と偏見でランク付けしてみた。
▼5位 石毛宏典
1994年オフ 西武→ダイエー(2億円)
1980年代の西武黄金時代を引っ張ったチームリーダー。20本塁打20盗塁を3度達成し、遊撃と三塁でゴールデングラブを計10度受賞するなど走攻守三拍子そろった万能選手で、86年にはMVPにも輝いた。94年は打率.266、11本塁打とやや精彩を欠き、球団から監督就任を打診されるも、「まだ現役でやれる」と固辞してダイエーへFA移籍。だが、西武時代は一度も規定打席を割ったことがなかった男が、95年は52試合で打率.200、1本塁打と信じられない不振。2年目はわずか18試合の出場に終わり、その年限りで現役を引退した。
▼4位 山沖之彦
1994年オフ オリックス→阪神(7000万円)
191センチの長身から投げ下ろす速球とフォークを武器に、80年代の阪急で左腕の星野伸之と対を成す右のエースとして君臨。87年には19勝で最多勝のタイトルも獲得している。だが、91年に就任した土井正三監督と対立して出番が減少し、これを不服としてFA宣言した。ヤクルトとの争奪戦の末に、当時は暗黒時代真っ只中だった阪神が獲得したが、右肩の故障で95年は1試合も一軍で登板できず。そのまま自由契約になってしまった。現在まで、FA移籍した球団で1試合も出場できなかったのは山沖ただ一人である。
▼5位 石毛宏典
1994年オフ 西武→ダイエー(2億円)
1980年代の西武黄金時代を引っ張ったチームリーダー。20本塁打20盗塁を3度達成し、遊撃と三塁でゴールデングラブを計10度受賞するなど走攻守三拍子そろった万能選手で、86年にはMVPにも輝いた。94年は打率.266、11本塁打とやや精彩を欠き、球団から監督就任を打診されるも、「まだ現役でやれる」と固辞してダイエーへFA移籍。だが、西武時代は一度も規定打席を割ったことがなかった男が、95年は52試合で打率.200、1本塁打と信じられない不振。2年目はわずか18試合の出場に終わり、その年限りで現役を引退した。
▼4位 山沖之彦
1994年オフ オリックス→阪神(7000万円)
191センチの長身から投げ下ろす速球とフォークを武器に、80年代の阪急で左腕の星野伸之と対を成す右のエースとして君臨。87年には19勝で最多勝のタイトルも獲得している。だが、91年に就任した土井正三監督と対立して出番が減少し、これを不服としてFA宣言した。ヤクルトとの争奪戦の末に、当時は暗黒時代真っ只中だった阪神が獲得したが、右肩の故障で95年は1試合も一軍で登板できず。そのまま自由契約になってしまった。現在まで、FA移籍した球団で1試合も出場できなかったのは山沖ただ一人である。