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「名将」というより「チアリーダー」?青い血が流れるラソーダのドジャース生活71年

豊浦彰太郞

2021.01.12

自チームの選手であるフェルナンド・バレンズエラ(左)に“インタビュー”するラソーダ(右)。メキシコ出身で当初は英語が分からなかった彼を真摯にサポートした。(C)Getty Images

自チームの選手であるフェルナンド・バレンズエラ(左)に“インタビュー”するラソーダ(右)。メキシコ出身で当初は英語が分からなかった彼を真摯にサポートした。(C)Getty Images

「I bleed Dodger Blue.(オレにはドジャーブルーの血が流れている)」の名言で知られる元ドジャース監督のトミー・ラソーダが、1月7日に亡くなった。享年93歳。

 日本では野茂英雄のデビュー当時の恩師として知られているラソーダだが、1976年から96年まで足掛け21年にわたってドジャースの監督を務め、歴代15位の通算1599勝(1439敗)という素晴らしい実績を挙げた。リーグ優勝4回、世界一には2回輝き、背番号2はドジャースの永久欠番となっている。

 現役時代は左腕投手で、カンザスシティ・アスレティックス(現オークランド・アスレティックス)などでもキャリアを積んだが、基本的にはブルックリン時代を含むドジャースでの在籍期間が長かった。かつてドジャース傘下の3A球団だったモントリオール・ロイヤルズの球団記録である105勝を含め、マイナー通算136勝を挙げているが、メジャーでは通算0勝4敗、防御率6.48に終わっている。30代で早くも指導者に転じ、前任のウォルター・オルストン監督の下で4年間のコーチを務めてから監督に就任した。
 
 監督を退いた後もドジャースの副社長や顧問を歴任し、球団の顔、アンバサダーとしての役割を担った。死去を受けて日本国内で発表された追悼記事の中には、「ドジャースひと筋21年」と題したものも見受けられたが、彼の本質は選手、フロント職も含んで71年(!)にわたってドジャースに在籍したことにある。ちなみに「ドジャーブルーの血」の名言は、長年ドジャースの監督を務めてから発せられたものと思われがちだが、実質監督2年目のシーズンからこのフレーズを使用していた。そのチーム愛たるや、相当なものである。

 ただ、これだけの実績を誇りながらも、監督としてのラソーダを語る際に、「名将」や「知将」の常套句を用いるのはあまり適切ではない。采配が斬新だったとか、理論に長けていたという話は特に聞かない。むしろ「監督にできることなど何もない。選手が気持ち良くプレーできるよう舞台を整えてあげることだけだ」というのが口癖で、勝敗はあくまで選手の実力で決まるものと割り切っていた。選手を時に励まし、時に褒め称え、時に慰める“チアリーダー”というのが彼の本質だった。
 
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ラソーダが球界にもたらした変化

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