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74年日米野球の“頂上決戦“に日本中が注目――ハンク・アーロンと王貞治が育んだ友情〈SLUGGER〉

豊浦彰太郞

2021.01.28

遠い海の向こうの英雄だったアーロン(写真)の存在を、多くの日本人のファンは王を通じて意識した。(C)Getty Images

 ハンク・アーロンの存在を初めて意識したのは1973年で、ぼくは小4だった。

 その年の夏休み、ベーブ・ルースの子ども向けの伝記を図書館で借りて読んだ。おそらくかなり前に出版されたであろうその本には、ルースの通算714本塁打を、「今後絶対に破られることのない記録」として紹介していた。

 しかしその1か月後、朝刊スポーツ欄のある記事にぼくの目は釘付けになった。そもそも「大リーグ」(当時の日本は「メジャーリーグ」ではなく、この呼称が一般的だった)が新聞に載ること自体滅多になかったのだが、その記事は「アーロンという選手が、ルースの記録にあと1本の通算713本塁打で73年シーズンを終えた」というものだった。――「不滅の記録じゃなかったの?」。10歳だったぼくの心は揺れた。
 
 翌74年、アーロンは開幕戦で714号を放ってルースの"不滅の記録"に並び、4月8日の開幕3試合目で715号を放って新記録を樹立した。この場面は今もYouTubeなどで見ることができる。淡々とベースを一周するアーロンに、興奮した2人のファンがフィールドに乱入して伴走した。まだ、それが許された時代だった。しかし、ずいぶん後から知ったのだが、この時アーロンのボディガードは、リボルバーを手にしていた。2人のファン(彼らは白人だった)がもし人種差別主義者で、アーロンに襲いかかるようなことがあれば、任務を遂行するつもりだったという。

 ルース越えの可能性が取り沙汰されるようになってから、アーロンの元にはあらゆる脅迫が寄せられていた。アーロンは後年、「今後あなたの記録を更新しそうな選手が出てきたら、どんなアドバイスを送りますか」と聞かれ、「郵便物の封を開けないことだ」と答えている。「ルースの記録を破るなら、お前の子どもを誘拐する」といった脅迫状が舞い込んだこともあったという。
 
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王とアーロンが演じた“頂上決戦”