ヤクルトの先発は、ノムさんが大いに期待していた投手だった。
2019年、稀代の名将は奥川恭伸について、あるテレビ番組の中で「腕の振り、投げ方がマーくんにそっくり。伸びしろがある」とべた褒めしていた。「間違いなく活躍する」と。
故・野村克也氏の追悼試合として行なわれた3月28日の阪神戦。野村氏が監督を務めたヤクルトと阪神両軍の監督・コーチ・選手全員が、ヤクルト監督時代の「73」を着けて試合に臨む。スコアボードには半旗が掲げられ、試合前には黙祷も行なわれた。
雨の予報だったが、予報に反して、試合中は少しも雨が降らなかった。
今季初登板が大事な追悼試合となった奥川の最速は148キロ。変化球は切れが良かったが、甘く入ったストレートを好調な阪神打線は見逃さなかった。初回にサンズのタイムリーで1点を失い、3回にはマルテに痛烈なソロ本塁打を浴びた。5回にも1点を失うが、5回を投げ切って74球3失点。被安打5奪三振も5。失点はしたが、ストライク先行の制球力は光るものを見せ、先に期待を感じさせる登板となった。
結果的に2-8と大敗し、チームはずるずると開幕3連敗。奥川は自分の投球を振り返って「初回に失点してチームに流れを作ることが出来ず、最低限しか出来ませんでした」と反省するが、高津監督は「レベルの高い投球」と評価した。この後一旦登録を抹消するものの、一軍に帯同させる考えだ。
また次がある。一軍でしか出来ない経験を積み、大器が成長していく過程を見られるのは幸せだ。
ノムさんがこの世を去った2020年、ルーキーだった奥川は、「お会いしたかった」と偉大な指導者を偲んだ。縁があって入団したヤクルトの歴史の中でも、とても大きな存在。実際に会うことはできなかったが、入寮時に彼は、星稜の山下智茂名誉監督からもらった「野村克也 野球論集成」という本をもってやってきた。
2020年1月。新型コロナが蔓延する前、まだ球場で練習見学が出来る時期だった。新人合同自主トレに現われた奥川は、素人目にもその身体能力の高さが際立っていた。長身で、均整の取れた恵まれた体格。長い手足。動く時のバランスが良く、走ったりステップを踏んだりするだけで、とにかく目を引く。キャッチボールをするフォームは、ゆったりとしていて綺麗だった。
屈託のない笑顔も印象的だった。あれほど甲子園で活躍して騒がれても、飾らない人柄。埼玉を「都会」と言い、挨拶をすれば声が小さいと言われる。どこか素朴な感じさえするルーキーは、純粋に野球に打ち込む野球少年そのものだった。
肘に軽い炎症があると分かったこともあり、その後の奥川は、様子を見ながら少しずつ調整を進めてきた。
2019年、稀代の名将は奥川恭伸について、あるテレビ番組の中で「腕の振り、投げ方がマーくんにそっくり。伸びしろがある」とべた褒めしていた。「間違いなく活躍する」と。
故・野村克也氏の追悼試合として行なわれた3月28日の阪神戦。野村氏が監督を務めたヤクルトと阪神両軍の監督・コーチ・選手全員が、ヤクルト監督時代の「73」を着けて試合に臨む。スコアボードには半旗が掲げられ、試合前には黙祷も行なわれた。
雨の予報だったが、予報に反して、試合中は少しも雨が降らなかった。
今季初登板が大事な追悼試合となった奥川の最速は148キロ。変化球は切れが良かったが、甘く入ったストレートを好調な阪神打線は見逃さなかった。初回にサンズのタイムリーで1点を失い、3回にはマルテに痛烈なソロ本塁打を浴びた。5回にも1点を失うが、5回を投げ切って74球3失点。被安打5奪三振も5。失点はしたが、ストライク先行の制球力は光るものを見せ、先に期待を感じさせる登板となった。
結果的に2-8と大敗し、チームはずるずると開幕3連敗。奥川は自分の投球を振り返って「初回に失点してチームに流れを作ることが出来ず、最低限しか出来ませんでした」と反省するが、高津監督は「レベルの高い投球」と評価した。この後一旦登録を抹消するものの、一軍に帯同させる考えだ。
また次がある。一軍でしか出来ない経験を積み、大器が成長していく過程を見られるのは幸せだ。
ノムさんがこの世を去った2020年、ルーキーだった奥川は、「お会いしたかった」と偉大な指導者を偲んだ。縁があって入団したヤクルトの歴史の中でも、とても大きな存在。実際に会うことはできなかったが、入寮時に彼は、星稜の山下智茂名誉監督からもらった「野村克也 野球論集成」という本をもってやってきた。
2020年1月。新型コロナが蔓延する前、まだ球場で練習見学が出来る時期だった。新人合同自主トレに現われた奥川は、素人目にもその身体能力の高さが際立っていた。長身で、均整の取れた恵まれた体格。長い手足。動く時のバランスが良く、走ったりステップを踏んだりするだけで、とにかく目を引く。キャッチボールをするフォームは、ゆったりとしていて綺麗だった。
屈託のない笑顔も印象的だった。あれほど甲子園で活躍して騒がれても、飾らない人柄。埼玉を「都会」と言い、挨拶をすれば声が小さいと言われる。どこか素朴な感じさえするルーキーは、純粋に野球に打ち込む野球少年そのものだった。
肘に軽い炎症があると分かったこともあり、その後の奥川は、様子を見ながら少しずつ調整を進めてきた。