現地時間5月25日、大谷翔平(エンジェルス)がレンジャーズ戦で今季15本目の一発を放った。過去、シーズン15本塁打をクリアした日本人選手は延べ13人。1本塁打あたりに要した打数を示す本塁打率で比較すると、今季の大谷は史上最も速いペースでアーチを量産している。
【日本人選手シーズン本塁打率ランキング】
2021年 大谷翔平(エンジェルス)11.4(15本塁打)
2018年 大谷翔平(エンジェルス)14.8(22本塁打)
2009年 松井秀喜(ヤンキース)16.3(28本塁打)
2004年 松井秀喜(ヤンキース)18.8(31本塁打)
2019年 大谷翔平(エンジェルス)21.3(18本塁打)
2007年 松井秀喜(ヤンキース)21.9(25本塁打)
2010年 松井秀喜(エンジェルス)23.0(21本塁打)
2005年 松井秀喜(ヤンキース)24.3(23本塁打)
2006年 城島健司(マリナーズ)28.1(18本塁打)
2006年 井口資仁(ホワイトソックス)30.8(18本塁打)
2005年 井口資仁(ホワイトソックス)34.1(15本塁打)
2003年 松井秀喜(ヤンキース)38.9(16本塁打)
2005年 イチロー(マリナーズ)45.3(15本塁打)
※15本塁打以上の選手を対象
18年の大谷は右ヒジを故障した6月こそノーアーチに終わったが、8月以降に13本塁打と猛チャージをかけ、最終的には22本まで伸ばして新人王に輝いた。また、この年は右投手から20本で、翌19年も15本。左投手からはそれぞれ2本、3本のみと大きな偏りがあったが、今季は相手投手の左右で本塁打率は13.0/10.8とそこまで大きな差はない。現在のペースなら、7月中には日本人のシーズン最多本塁打記録を更新する計算だ。 その記録を保持しているのが、上記ランキングに多く名を残す松井だ。「ゴロキング」と揶揄されたメジャー1年目は16本にとどまったが、翌04年には東京ドームでの開幕2戦目に第1号を放つと、ゴロ打球の割合を前年比で10%以上も下げて31本の柵越え。日本球界が誇るホームランバッターとしての面目躍如を果たした。
ただ、本塁打率では28本を記録した09年の方が上。ヤンキースでの最終年となったこの年は、プレーオフでも4ホーマーを放つ大活躍で、ワールドシリーズではMVPも受賞した。
06年の城島は開幕戦でメジャー初安打をホームランで飾ると、翌日の試合でも本塁打。捕手の重責も担いながら、新人野手ではリーグ最多の18本を放った。城島の場合、大きな壁として立ちはだかったのが本拠地セーフコ・フィールド(現Tモバイル・パーク)で、72試合でわずか6本塁打。敵地では同じく72試合で12本塁打を放っていて、投手有利の球場に泣かされた形だ。
【日本人選手シーズン本塁打率ランキング】
2021年 大谷翔平(エンジェルス)11.4(15本塁打)
2018年 大谷翔平(エンジェルス)14.8(22本塁打)
2009年 松井秀喜(ヤンキース)16.3(28本塁打)
2004年 松井秀喜(ヤンキース)18.8(31本塁打)
2019年 大谷翔平(エンジェルス)21.3(18本塁打)
2007年 松井秀喜(ヤンキース)21.9(25本塁打)
2010年 松井秀喜(エンジェルス)23.0(21本塁打)
2005年 松井秀喜(ヤンキース)24.3(23本塁打)
2006年 城島健司(マリナーズ)28.1(18本塁打)
2006年 井口資仁(ホワイトソックス)30.8(18本塁打)
2005年 井口資仁(ホワイトソックス)34.1(15本塁打)
2003年 松井秀喜(ヤンキース)38.9(16本塁打)
2005年 イチロー(マリナーズ)45.3(15本塁打)
※15本塁打以上の選手を対象
18年の大谷は右ヒジを故障した6月こそノーアーチに終わったが、8月以降に13本塁打と猛チャージをかけ、最終的には22本まで伸ばして新人王に輝いた。また、この年は右投手から20本で、翌19年も15本。左投手からはそれぞれ2本、3本のみと大きな偏りがあったが、今季は相手投手の左右で本塁打率は13.0/10.8とそこまで大きな差はない。現在のペースなら、7月中には日本人のシーズン最多本塁打記録を更新する計算だ。 その記録を保持しているのが、上記ランキングに多く名を残す松井だ。「ゴロキング」と揶揄されたメジャー1年目は16本にとどまったが、翌04年には東京ドームでの開幕2戦目に第1号を放つと、ゴロ打球の割合を前年比で10%以上も下げて31本の柵越え。日本球界が誇るホームランバッターとしての面目躍如を果たした。
ただ、本塁打率では28本を記録した09年の方が上。ヤンキースでの最終年となったこの年は、プレーオフでも4ホーマーを放つ大活躍で、ワールドシリーズではMVPも受賞した。
06年の城島は開幕戦でメジャー初安打をホームランで飾ると、翌日の試合でも本塁打。捕手の重責も担いながら、新人野手ではリーグ最多の18本を放った。城島の場合、大きな壁として立ちはだかったのが本拠地セーフコ・フィールド(現Tモバイル・パーク)で、72試合でわずか6本塁打。敵地では同じく72試合で12本塁打を放っていて、投手有利の球場に泣かされた形だ。