プロ野球

不倫騒動に監督への造反、無免許交通事故…不祥事から再起を果たしたプロ野球選手たち<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2021.08.17

現役時代の二岡(左)とレギュラー定着間もない頃の中田(右)。「不祥事での移籍」を経ての再起が2人の共通項になるかもしれない。写真:産経新聞社

 チームメイトへの暴行で、8月11日に球団から出場停止処分を受けた日本ハムの中田翔。16日になって栗山英樹監督が退団の可能性も示唆するほどの騒動となっているが、実際に過去にも、不祥事を起こして移籍の憂き目にあった選手がいる。

"懲罰トレード"となると真っ先に浮かぶのが、二岡智宏の例だろう。強打の遊撃手として1998年ドラフト2位で近畿大から巨人に逆指名入団。2003年に29本塁打を放つなど看板選手の一人として活躍していたが、08年7月に同じ広島県出身のタレント、山本モナとの不倫スキャンダルが週刊誌にスッパ抜かれた。二岡本人は丸刈りにしてこの騒動を謝罪したが、巨人は二岡をオフにトレードで放出。奇しくも移籍先は、現在渦中にある日本ハムであった。

 同じように主力ながらトレードされた選手には、50年代に"野武士軍団"と呼ばれた常勝・西鉄(現西武)を支えた豊田泰光がいる。原因は暴行ではなく"暴言"だった。60年代に入って強さに陰りが見え始めた西鉄は、62年に中西太を選手兼任監督、豊田を選手兼任助監督に据えたが、実はこの2人は仲が悪かった。
 

 中西は当時、慢性的な腱鞘炎に悩まされており、この年の出場はわずか44試合。そんな中西に対し、4番を務めていた豊田は不満を募らせ、思わず「オレだって身体が痛くても試合に出ている。そんな腐れ手首は切ってしまえ!」と発言してしまった。首脳陣の確執で空中分解したチームはこの年も優勝を逃し、豊田もオフに国鉄(現ヤクルト)へ金銭トレードで放出された。
 
 首脳陣やフロントに対する行動が原因となって、移籍の憂き目にあった選手は他にもいる。

 04年オフに山﨑武司が04年オフにオリックスを退団する要因となったのは、当時の監督だった伊原春樹への"造反"だった。

 今年2月に伊原がYouTubeで明かしたところによると、造反の理由は名古屋で行なわれたゲームで、不振の山﨑をスタメンから外したことにあるという。愛知県出身の山﨑は、地元出身の自分をスタメンから外すのはあり得ないとして、試合前に中村勝広GMの下へ赴き、伊原の解任を直訴する"暴挙"に出た。

 この一件が問題視され、山﨑はシーズン終了後に自由契約に。一度は引退も考えたというが、翌年から新規参入する楽天からオファーを受けて移籍を決意。06年から就任した野村克也監督の指導により、07年には39歳で本塁打と打点の二冠に輝いている。
 
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