6月末から本塁打王レースのトップに立っていた大谷翔平(ロサンゼルス・エンジェルス)だったが、現地時間9月12日についにブラディミール・ゲレーロJr.(トロント・ブルージェイズ)に追いつかれてしまった。22歳の神童は打率リーグ1位、打点はトップから5点差まで来ており、三冠王も狙える位置にいる。それでも、現地記者のなかでは「ショウヘイ・オオタニがMVP」という見解が大勢を占めている。
現在のアウォード投票で重要視されている勝利貢献度WARにおいて、大谷はメジャートップ。また、二刀流という前代未聞の偉業への評価は高い。そんなMVP当確の大谷には、実はある記録が“オマケ”でついてくるかもしれない。現在の打率は.259。もしこのままシーズンを終えると、「歴代最低打率のMVP」という、ややありがたくない(?)称号も手にしそうなのだ。
【動画】「オオタニっていう男は!!」と現地でも驚愕!44号弾丸弾の様子はこちら
現在の“記録保持者”は1944年のマーティ・マリオン(セントルイス・カーディナルス)で.267。もっとも、彼は第2次世界大戦中という特殊なシーズンで受賞しており、チーム優勝&遊撃守備が評価された形だった(6本塁打&OPS.686)。果たして実質的に、「歴代最低打率のMVP」は1961年のロジャー・マリス(ニューヨーク・ヤンキース)と見ることもできる。そして、このマリスと大谷にはまた、不思議な共通点があるのだ。
大谷がメジャーに移籍して以降、彼の活躍には頻繁に「ベーブ・ルース以来~」という枕詞がついてくる。特に今シーズンは二刀流として歴史的なシーズンを送っており、例えば4月26日には、1921年のベーブ・ルース以来となる本塁打トップ(7本以上)の選手が先発登板という記録を達成。6月23日には、1919年のルース以来となる同一シーズンで20本塁打&10先発以上といった記録も掘り起こした。
並ぶだけでなく“神様”もできなかった偉業もあり、20世紀以降では初の“トリプル100”(100安打・100奪三振・100投球回)も達成している。そしてマリスもまた、大谷と同じく“神様超え”を成し遂げた男なのだ。
1961年、ヤンキース移籍2年目のマリスはエクスパンションでレベルが下がったこともあり本塁打を量産。5~6月の2か月で26本を放つと、8月末に50本に到達した。そしてシーズン最終戦の10月1日、1927年のベーブ・ルースが持っていたメジャー歴代最多60本塁打を更新する61号を叩き込んだのだった。打率.269はリーグ28位に止まったが、圧倒的すぎるインパクトで2年連続のMVP。しかし、今季の大谷とは対照的に、マリスの快挙は誰もが祝福してくれたものではなかった。
当時のアメリカにおいて、ルースは神様と同義だった。そして60本塁打という記録は、まさに神の領域として祀り上げられるほどだった。その数字に追いつき、あまつさえ更新しようという者はヤンキースファンからも大バッシングの対象になったのだ。また、ルースの時代は154試合制のものであり、162試合制のマリスは同等ではないという意見も多かった。実際、時のコミッショナーはアスタリスクを付けようとしたほどである。
同じ“神様超え”の2人だが、その扱い方は天と地の差があると言っていい。共通点と相違点。マリスが後年に語った「ホームラン記録なんて作らなければ、もっと楽しい野球人生が待っていたのに」との言葉は、いつも野球を楽しんでいる大谷には当てはまらないものだろう。
構成●THE DIGEST編集部
【PHOTO】世界が驚嘆する偉才・大谷翔平のキャリアを厳選ショットで一挙公開!花巻東、日ハム、エンジェルスでの活躍を振り返る
現在のアウォード投票で重要視されている勝利貢献度WARにおいて、大谷はメジャートップ。また、二刀流という前代未聞の偉業への評価は高い。そんなMVP当確の大谷には、実はある記録が“オマケ”でついてくるかもしれない。現在の打率は.259。もしこのままシーズンを終えると、「歴代最低打率のMVP」という、ややありがたくない(?)称号も手にしそうなのだ。
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現在の“記録保持者”は1944年のマーティ・マリオン(セントルイス・カーディナルス)で.267。もっとも、彼は第2次世界大戦中という特殊なシーズンで受賞しており、チーム優勝&遊撃守備が評価された形だった(6本塁打&OPS.686)。果たして実質的に、「歴代最低打率のMVP」は1961年のロジャー・マリス(ニューヨーク・ヤンキース)と見ることもできる。そして、このマリスと大谷にはまた、不思議な共通点があるのだ。
大谷がメジャーに移籍して以降、彼の活躍には頻繁に「ベーブ・ルース以来~」という枕詞がついてくる。特に今シーズンは二刀流として歴史的なシーズンを送っており、例えば4月26日には、1921年のベーブ・ルース以来となる本塁打トップ(7本以上)の選手が先発登板という記録を達成。6月23日には、1919年のルース以来となる同一シーズンで20本塁打&10先発以上といった記録も掘り起こした。
並ぶだけでなく“神様”もできなかった偉業もあり、20世紀以降では初の“トリプル100”(100安打・100奪三振・100投球回)も達成している。そしてマリスもまた、大谷と同じく“神様超え”を成し遂げた男なのだ。
1961年、ヤンキース移籍2年目のマリスはエクスパンションでレベルが下がったこともあり本塁打を量産。5~6月の2か月で26本を放つと、8月末に50本に到達した。そしてシーズン最終戦の10月1日、1927年のベーブ・ルースが持っていたメジャー歴代最多60本塁打を更新する61号を叩き込んだのだった。打率.269はリーグ28位に止まったが、圧倒的すぎるインパクトで2年連続のMVP。しかし、今季の大谷とは対照的に、マリスの快挙は誰もが祝福してくれたものではなかった。
当時のアメリカにおいて、ルースは神様と同義だった。そして60本塁打という記録は、まさに神の領域として祀り上げられるほどだった。その数字に追いつき、あまつさえ更新しようという者はヤンキースファンからも大バッシングの対象になったのだ。また、ルースの時代は154試合制のものであり、162試合制のマリスは同等ではないという意見も多かった。実際、時のコミッショナーはアスタリスクを付けようとしたほどである。
同じ“神様超え”の2人だが、その扱い方は天と地の差があると言っていい。共通点と相違点。マリスが後年に語った「ホームラン記録なんて作らなければ、もっと楽しい野球人生が待っていたのに」との言葉は、いつも野球を楽しんでいる大谷には当てはまらないものだろう。
構成●THE DIGEST編集部
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