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MLB

【メジャーリーグMVPの歴史と変遷:後編】「最も価値ある」に対する一つの回答?価値観を大きく変えたトラウトvsミギーの大論争<SLUGGER>

出野哲也

2021.11.14

12年は三冠王のカブレラ(右)より新人30-30のトラウト(左)がWARでは上回っていた。タイガースはプレーオフへ進出したという事情もあったが……。(C)Getty Images

12年は三冠王のカブレラ(右)より新人30-30のトラウト(左)がWARでは上回っていた。タイガースはプレーオフへ進出したという事情もあったが……。(C)Getty Images

 今に至るまでMVPには明確な定義がなく、何を基準とするかは投票者の裁量に委ねられている。かつては「優勝に貢献した選手を選ぶ」という視点が今より強かった。「最優秀選手」でなく「最高殊勲選手」という発想で、プロ・ベースボールの究極の目標はチームの優勝なのだから、「最も価値がある選手」を字義通りに解釈すれば、そうなるのも不思議ではない。30年代は優勝チーム以外からの選出は6人、40年代は4人、50年代は8人、60年代は7人と、全体の半数以下にとどまっている。

 42年のテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)がMVPになり損ねたのも、そうした価値観と無縁ではなかった。同年は打率.356、36本塁打、137打点で三冠王、出塁率.499と長打率.648も1位。この年最高の選手だったのは明白で、どのくらい勝利に貢献したかを示す総合指標WAR(Baseball Reference)でも10.5と、2位のジョー・ゴードン(ヤンキース/打率.322、18本塁打、103打点)に2.8の大差をつけていた。ところがMVPを受賞したのは、優勝したヤンキースのベストプレーヤーだったゴードン。ウィリアムズは47年にも2度目の三冠王に輝きながら、やはりMVPを逃している。
 
 もっとも、ウィリアムズの場合は、地元ボストンの報道陣との折り合いが悪く、10位以内に彼の名前を記入しなかった記者がいたのが決定的な要因ではあった。95年もトラブルメーカーのアルバート・ベル(インディアンス/50本塁打、OPS1.091、WAR7.0)ではなく、人格者で知られたモー・ボーン(レッドソックス/39本塁打、OPS.963、WAR4.3)が選ばれている。このあたりは記者投票というシステムの欠点ではあるが、優勝チームにゴードンのような好成績の(そして記者受けが悪くない)選手がいた場合、特に嫌われてはいなくても、破格の数字を残さないと受賞はしにくかった。

 ところが、69年に2地区制が導入されてプレーオフが始まると、優勝チーム以外からの選出例が増え始める。70年代は11人、80年代は10人と半数を上回り、90年代には優勝チームから選ばれたのはたった3人になった。「MVPは個人として優秀な成績を収めた者に与えられるもの」との概念はこの頃から主流になったと言える。
 
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