プロ野球

高卒1年目から3年連続最多勝のフル稼働が故障の遠因にも…“平成の怪物”松坂大輔の歩みを振り返る<SLUGGER>

藤原彬

2021.12.05

“平成の怪物”と呼ばれ、プロ入り当初からあまりにも鮮烈な印象を残した松坂。短かった全盛期がよりイメージを強くしている。写真:産経新聞社

 今季限りで現役を引退した松坂大輔は、周囲の度肝を抜いた一軍デビュー戦を皮切りに、プロ入り直後から強烈なインパクトを残した。高卒選手では初の1年目から3年連続最多勝獲得と急ぎ足でスターダムに上り詰め、成長を繰り返しながら最多奪三振を4回、最優秀防御率も2回受賞。さらに、タイトルの対象ではない指標まで掘り下げると「平成の怪物」がマウンドで示した凄みはより鮮明になる。

■剛腕から完成度の高い投手へ進化

 松坂はメジャー挑戦までの西武在籍8年間で、長期離脱した2002年以外は毎年2ケタ勝利を挙げ、防御率と奪三振は必ずリーグ4位以内に名を連ねた。当時の打高投低傾向を考慮すると、1999~2006年に残した通算防御率2.95は、近年で同水準の数値を残すよりも価値が高い。

 リーグ全体の奪三振数も現在より少なく、振り返ればシーズン200奪三振以上を4回も記録した能力はより際立っている。ちなみに、99~06年の間に松坂以外で200奪三振の大台をクリアした投手はソフトバンクの杉内俊哉(05年)と斉藤和巳(06年)だけだ。
 
 当然、松坂は奪三振率でも常にリーグ上位(1位→3回、2位→3回、4位→1回)を維持。被打率はそれ以上の水準(1位→4回、2位→3回)で、力強い投球動作から繰り出す速球と代名詞の鋭いスライダーに、年々レパートリーを増した変化球とのコンビネーションも身につけている。

 剛球の一方で、プロ入り当初は制球が不安定で、3年目までの与四球率は毎年4~5台と明確な課題だった。それでも、5年目からは徐々に改善(2.92→2.59→2.05)し、メジャー挑戦直前の06年にはリーグベストの1.64までダウンした。

 1イニング当たりに許した走者の数を示すWHIP0.92や、奪三振と与四球の比で算出するK/BB5.88でもリーグトップに立つまで支配力を高めた。同年オフにはメジャーの名門レッドソックスからポスティング料含む総額約120億円もの契約を引き出し、日米で狂騒曲を巻き起こした。