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菅野智之は4年41億円で残留、松井秀喜は8年60億円、5年50億円+監督手形を蹴ってメジャーへ。“ゴジラ”の夢にかけた本気度<2021百選>

新井裕貴(SLUGGER編集部)

2021.12.08

菅野(左)、松井(右)の巨人の看板選手ふたりはともにメジャーを夢見ていていたが、“挑戦1年目”は違う道となった。写真:塚本凛平(THE DIGEST写真部/菅野)、Getty Images

 2021年のスポーツ界における名場面を『THE DIGEST』のヒット記事で振り返る当企画。今回は、昨季オフにMLB挑戦を試みた菅野智之をピックアップ。松井秀喜がメジャーに挑戦したときの夢にかける想いを交えながら回顧する。

記事初掲載:2021年1月8日

――◆――◆――

「夢を捨てきることができないんです。メジャーリーグに行かせてください」

 2002年11月1日、巨人が日本シリーズで西武を4連勝で下した2日後。松井秀喜は、原辰徳監督にこう直談判したという。そしてこの1ヵ月後の12月19日、巨人の4番は名門ニューヨーク・ヤンキースと3年2100万ドル(当時約25億4100万円)で契約を結び、日本を旅立っていった――

 時計の針を進めて2021年1月8日、巨人からポスティングシステムを利用してメジャー移籍を目指していた大エース・菅野智之は、メジャー球団との契約合意に達せずに巨人残留を決断。そして数時間後、スポーツメディア『ジ・アスレティック』のケン・ローゼンタール記者は、菅野と巨人が4年4000万ドル(約41億5000万円)で契約を交わしたと報じた。この間は毎年オフに契約破棄できる条項が組み込まれており、菅野は2021年オフにもメジャー再挑戦できることになる。

 菅野は残留を表明した際、新型コロナウイルスの影響が大きかったと口にした。世界で最もコロナ禍が深刻なアメリカにあって、自身の健康面、無事にシーズンが開幕されるか保証できないという不安材料が拭いきれず、"夢"のメジャーリーグ挑戦を少なくとも1年封印するという選択をしたわけだ。

 もちろん、この決断を批判するつもりはない。安全面はもちろん、「一番いいオファーを受けたチームを選ぶ」のはプロスポーツ選手として当然のことであり、1つ年齢を重ねても再びトライできるチャンスもあるのだから、巨人のオファーは相当に魅力的なものだからだ。

 だからこそ改めて思い出すのが、冒頭に挙げた"ゴジラ"の夢にかける想いである。
 
 2002年シーズン開幕前、松井は三冠王獲得を宣言した。終盤戦まで打撃三部門のトップをキープし、史上11人目の大記録に手が届きかけたものの、10月に福留孝介(中日)に打率を抜かれて自身3度目の"二冠王"に終わった。打率.334、50本塁打、107打点、OPS1.153という圧巻の成績で納得のMVP。自己最高の成績を収めることができたのも、その裏には松井の隠し切れない想いがあった。

 同時代のライバルであるイチロー、佐々木主浩がメジャーで活躍。自身の中でも「やれる」という手ごたえもあった。憧れ続けた大舞台に向けて自身のプレーを高め、そして巨人からのオファーも断り続けた。2000年オフには8年60億円という衝撃的な契約を打診されたが拒否。FA権取得前年の2001年オフには5年50億円+監督手形の提示もあったというが、"ゴジラ"は初志貫徹。文字通り、自身の想いを貫き通した。

 そして、日本一から2日後、原監督にすべてをぶつけ、背中を後押ししてもらった。メジャー移籍会見、松井はこう語っている。「何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい。決断した以上、命を懸ける」。

 名門ヤンキースの4番を務め、オールスター選出2回。2004年には日本人メジャーリーガー最多となる31本塁打も記録。2009年のワールドシリーズでは、打率.615、3本塁打、OPS2.027という球史に残る猛打で世界一&シリーズMVPを受賞。

 夢を現実のものにした男は、誰もが「行ってよかった」と思える姿を披露してくれた。

構成●新井裕貴(THE DIGEST)
 
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