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オティーズとはあまりにも対照的…サミー・ソーサの殿堂入り記者投票が静かに幕引き【豊浦彰太郎のベースボール一刀両断!】<SLUGGER>

豊浦彰太郞

2022.02.01

98年のホームランラッシュ以降、ソーサはMLBのトップスターの一人だった。当時の熱狂を思えば今の影の薄さはあまりにも物哀しい。(C)Getty Images

 現地時間1月25日、全米野球記者協会(BBWAA)による今年の野球殿堂入り投票結果が発表された。今回の大きなトピックは2つ。投票最終年だったバリー・ボンズとロジャー・クレメンスのステロイド疑惑2大巨頭と、引退後に"暴言マシーン"と化したカート・シリングの3名がそろって落選したこと。そして、ボストンの英雄デビッド・オティーズが投票初年度ながら選出されたことだ。

 しかし、個人的にそれらと同じくらい気に掛かったのが、サミー・ソーサが最終年の今回も18.5%しか票を集められずに殿堂入り候補者リストから名が消えてしまったこと、しかもそれが大きな話題にもならなかったことだ。

 ソーサはかつてMLBの太陽だった。カブスに在籍していた1998年、マーク・マグワイア(当時カーディナルス)との歴史的なホームランバトルは、全米を、いや全世界を熱狂の渦に巻き込んだ。その年のナ・リーグ本塁打王は70本を打ったマグワイアだったが、MVPに選出されたのは66本のソーサだった(打点王も獲得した)。
 
 パワーだけではなく、明るく屈託のないキャラクターもソーサの魅力だった。本拠地リグリー・フィールドでは、ゲーム開始時刻になると、三塁側ダグアウトから外野フェンスに沿ってライトの守備位置まで全力疾走するソーサの姿にファンは熱狂したものだ。
 
 打撃練習もエンターテイメントだった。現在とは違い、リグリー・フィールドの外野席が低かったこともあって場外弾が乱れ飛び、名物のボールホーク(場外で打球を待ち受けるファン)がそれをキャッチせんと走り回った。実はぼくも参戦したことがあるのだけれど、シカゴっ子たちの打球への反応やダッシュ力には到底ついていけなかった。

 しかしソーサは06年に、球界のドーピング問題を告発した「ミッチェル・レポート」に薬物使用者として名が挙がる。すると、マグワイアとともにその名声は地に落ちた。ソーサ自身は薬物使用を強く否定していたが、デビュー当初は針金のように細い体型の"ワイヤリーキッド"だった彼が、その後はどんどんマッチョに変化していった様子を見ると、薬物に手を染めていただろうと考えるのは自然なことだった。