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95年のMLBストライキで「スト破り」の汚名を着せられた代替選手たちの悲劇【ダークサイドMLB】<SLUGGER>

出野哲也

2022.02.20

元DeNA監督のアレックス・ラミレス(写真)も、95年の春季キャンプに代替選手として参加。このため、選手会への加入を認められなかった。(C)Getty Images

 MLBのロックアウトはいまだ妥結の兆しが見えず、2022年のシーズン開幕が危ぶまれる状況となっている。労使闘争で開幕が延期されるとなれば、選手会のストライキがあった1995年以来のこと。この時はオーナー側が、マイナーリーガーたちで構成した代替選手で開幕しようと画策した。ここでは、彼ら代替選手のたどった悲劇を紹介しよう。

※スラッガー2020年7月号から転載

 新型コロナウイルスの蔓延により、2020年のMLBは5月になっても開幕できる見通しが立っていない。これまで最も開幕が遅かったのは1995年。前年8月から突入していた選手会のストライキが、年明けまで持ち越されたためである。オーナー側と妥結したのは本来の開幕予定日だった4月3日の前日で、オープニング・デーは約3週間遅れの25日までずれ込んだ。

 95年と今年には多くの共通点がある中で、大きな違いも一つある。今年は開幕さえすれば、マイク・トラウト(エンジェルス)やコディ・ベリンジャー(ドジャース)らスター選手の姿が見られるのは、彼らが怪我をしていない限りは100%確実なことだ。

 しかし95年はそうではなかった。オーナー側が、選手会のメンバーではなくストライキに関与していない代替選手での開幕を画策していたからだ。彼らはキャンプに参加し、開幕予定日の数日前までオープン戦に出場していた。選手会からすれば自分たちの利益を侵害する存在であり、「スキャブ(ストライキ破り)」と呼ばれて解決後もずっと敵視された。この代替選手たちこそ、94~95年の長期ストライキにおける一番の被害者だった。

 代替選手による開幕を誰が提案したかは、はっきり分かっていない。コミッショナー代行を務めていたバド・シーリグは「覚えていない」、オーナー側で強硬派の筆頭だったジェリー・ラインズドーフ(ホワイトソックス)は「弁護士の助言に従った」としている。1月の世論調査で「代替選手での開幕に賛成」とするファンが少なくなかったことも後押しになった。
 
 2月にキャンプが始まった時点で、集まった選手たちのバックグラウンドはさまざまだった。大半はマイナーリーガーで、すでに引退していた元メジャーリーガーや、プロ経験のない選手まで員数合わせのために混じっていた。グーグルの存在しない時代とあって、架空の球歴をでっち上げて紛れ込んだ者までいた。

 マイナーからの参加者の多くは、球団からの要請に応じざるを得なかった者たちだった。有望株でもないマイナーリーガーが球団の要望を拒めば、問答無用でクビを切られて何の補償があるわけでもない。「キャンプの3日前に子供が生まれたばかりで、球団から健康保険を用意すると約束されたんだ。それで魂を売ったのさ」(アストロズの代替選手だったジェイミー・ウォーカー)

 そうかと思えば、自ら積極的に加わった者もいた。キャンプ期間に支払われる報酬は5000ドル、メジャーのロースターに登録されれば基本給11万5000ドルが約束され、薄給のマイナーリーガーにとっては魅力的な金額だった。レッドソックスのロン・メイヘイは「いつクビになってもおかしくない選手だったから、代替選手は注目してもらえるチャンスだった」と語っている。
 
 86年のメッツのワールドシリーズ優勝メンバーで、91年に引退していたダグ・シスクが参加した理由は、選手会への抗議だった。選手会はライセンス契約しているテレビゲームやベースボールカードから多額の収入を得ていながら、ストライキの原資とするためOBに対しては支払いを差し止めていて、これに不満を持ったのである。

 オーナーの中にも、一人だけ代替選手での開幕に反対する者がいた。オリオールズのピーター・アンジェロスである。彼自身が弁護士として組合活動に携わった経験があり、またチーム一のスター選手カル・リプケンJr.の連続試合出場記録が、代替選手で開幕すると途切れるという事情もあった。当時MLB記録を保持していたルー・ゲーリッグの2130試合まであと121試合。選手会はリプケンには特別に出場許可を与えるつもりだったが、彼は「自分の記録のために勝手な行動はできない」と言明。アンジェロスも「代替選手で開幕するなら全部試合放棄する」と息巻いた。ブルージェイズも、地元オンタリオ州法で代替選手の雇用が禁じられていて、オーナー側のネックになっていた。