長年、アマチュア野球を見ているとよく聞かれるのが、「これまで見た選手のなかで誰が一番凄かったですか?」という質問である。
投手や野手、カテゴリーによっても異なるため、一概に絞るのは困難ではある。だが、テーマとカテゴリーに分けてランキング形式で5人ずつ紹介していきたい。対象としたのは、現在の記録をとるスタイルでアマチュア野球を見始めた2001年秋以降の選手たちだ。
今回は「本当に長打力があった打者」の高校生編をお送りする。
―――◆―――◆―――
5位:高橋周平(東海大甲府)
1年の夏から4番を任せられるなど早くから注目されていたが、巡り合わせが悪く、初めてプレーを見たのは3年春の関東大会だった。初戦の八王子戦はホームランこそ出なかったものの、厳しいマークに遭うなかでも2本のツーベースを記録。打球の速さとフライの滞空時間の長さは目を見張るものがあった。
さらに素晴らしかったのが高校日本代表として出場したアジアAAA選手権だ。多くの打者が慣れない木製バットに苦しむなかで高橋は完璧に対応。決勝の韓国戦で放ったホームランはプロも顔負けの当たりだった。プロではバッティングスタイルは変わったが、高校時代のような豪快な打撃を見たいと願うファンも多いはずだ。 4位:鵜久森淳志(済美)
豪快なプルヒッティングが印象深い彼を4位とした。3年春に2本、夏に3本と甲子園で合計5本のホームランを放ったが、どれも打った瞬間にそれと分かる圧倒的な飛距離が魅力だった。
とくに印象深いのが選抜で須田幸太(土浦湖北・元DeNA)から放ったホームランと、夏に佐藤剛士(秋田商・元広島)から放ったホームランの2本だ。前者からはアウトロー、後者からは内角とそれぞれ厳しいコースを突いたボールだったが、どちらもヒットはともかくホームランにしてしまった打撃には、とにかく驚かされた。
また、甲子園での5本塁打全てがレフト方向だったというのも特徴がよく表れている。プロでは確実性が上がらずに苦しみ、目立てなかったが、甲子園の歴史に残る強打者だったのは間違いない。
3位:平田良介(大阪桐蔭)
4位の鵜久森と並ぶ甲子園通算5本塁打を誇る。高校時代のバッティングはバットを大きく動かしてタイミングをとり、極端にアウトステップするなど決して褒められた形ではなかったが、とにかく際立っていたのは、常にフルスイングできる姿勢だ。
中日の落合博満監督(当時)がドラフト時に「あれほど振れる選手はなかなかいない」と話したエピソードは有名で、体勢を崩されても遠くへ運ぶだけの身体の強さがあった。
3年夏の甲子園、対東北戦では1試合3本塁打を放ったが、この時の1本目は外角の変化球をすくいあげるようにしてとらえたもので、その滞空時間の長さには驚嘆させられた。現在は病気からの再起を図っているが、また豪快なフルスイングを見せてくれると期待したい。
投手や野手、カテゴリーによっても異なるため、一概に絞るのは困難ではある。だが、テーマとカテゴリーに分けてランキング形式で5人ずつ紹介していきたい。対象としたのは、現在の記録をとるスタイルでアマチュア野球を見始めた2001年秋以降の選手たちだ。
今回は「本当に長打力があった打者」の高校生編をお送りする。
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5位:高橋周平(東海大甲府)
1年の夏から4番を任せられるなど早くから注目されていたが、巡り合わせが悪く、初めてプレーを見たのは3年春の関東大会だった。初戦の八王子戦はホームランこそ出なかったものの、厳しいマークに遭うなかでも2本のツーベースを記録。打球の速さとフライの滞空時間の長さは目を見張るものがあった。
さらに素晴らしかったのが高校日本代表として出場したアジアAAA選手権だ。多くの打者が慣れない木製バットに苦しむなかで高橋は完璧に対応。決勝の韓国戦で放ったホームランはプロも顔負けの当たりだった。プロではバッティングスタイルは変わったが、高校時代のような豪快な打撃を見たいと願うファンも多いはずだ。 4位:鵜久森淳志(済美)
豪快なプルヒッティングが印象深い彼を4位とした。3年春に2本、夏に3本と甲子園で合計5本のホームランを放ったが、どれも打った瞬間にそれと分かる圧倒的な飛距離が魅力だった。
とくに印象深いのが選抜で須田幸太(土浦湖北・元DeNA)から放ったホームランと、夏に佐藤剛士(秋田商・元広島)から放ったホームランの2本だ。前者からはアウトロー、後者からは内角とそれぞれ厳しいコースを突いたボールだったが、どちらもヒットはともかくホームランにしてしまった打撃には、とにかく驚かされた。
また、甲子園での5本塁打全てがレフト方向だったというのも特徴がよく表れている。プロでは確実性が上がらずに苦しみ、目立てなかったが、甲子園の歴史に残る強打者だったのは間違いない。
3位:平田良介(大阪桐蔭)
4位の鵜久森と並ぶ甲子園通算5本塁打を誇る。高校時代のバッティングはバットを大きく動かしてタイミングをとり、極端にアウトステップするなど決して褒められた形ではなかったが、とにかく際立っていたのは、常にフルスイングできる姿勢だ。
中日の落合博満監督(当時)がドラフト時に「あれほど振れる選手はなかなかいない」と話したエピソードは有名で、体勢を崩されても遠くへ運ぶだけの身体の強さがあった。
3年夏の甲子園、対東北戦では1試合3本塁打を放ったが、この時の1本目は外角の変化球をすくいあげるようにしてとらえたもので、その滞空時間の長さには驚嘆させられた。現在は病気からの再起を図っているが、また豪快なフルスイングを見せてくれると期待したい。