プロ野球

西武は文句なしでカブレラを選出。“不作”のオリックスやロッテは優勝の功労者がトップに 【平成・令和パ・リーグ6球団最強助っ人は誰だ】<SLUGGER>

出野哲也

2022.06.09

筋骨隆々の身体から、規格外の飛距離の打球を連発したカブレラ。西武ドームの看板を直撃する推定180メートル弾を放ったこともある。写真:産経新聞社

 平成(1989年)以降の各球団の助っ人でナンバーワンは誰なのか? 成績だけでなく、人気や印象度なども踏まえてチョイスしてみた。今回はパ・リーグ編だ。

▼オリックス
トロイ・ニール(1995~2000年在籍/一塁手)

 平成以降はタフィ・ローズ、アレックス・カブレラ、グレッグ・ラロッカら、他球団で活躍した選手を引っ張ってくる傾向が強く、短期間好成績を残しても長くプレーできなかったケースが多い。

 そのなかにあって、95年に入団したニールは都合6年プレーした。1年目は27本塁打、翌96年は32本塁打、111打点の二冠王で2年連続のリーグ優勝に大きく貢献。96年の日本シリーズはわずか3安打ながら、6打点を稼いでMVPに選ばれた。気性が激しく何度も退場処分を受けたほか、腹を下した状態で打席に立ってホームランを打つなど珍妙なエピソードの多い選手でもあった。

 10年代に入ると、投手のブランドン・ディクソンが13年から9年間在籍して活躍(21年はコロナ禍により来日できないまま5月に退団)。2ケタ勝利こそ一度もなかったが、最初の7年は先発陣の一角として働き、最後の2年間はクローザーとして働くなど、役割を問わず重きをなした。
 
▼ロッテ
ベニー・アグバヤニ(2004~09年在籍/外野手)

 マリーンズも長期間にわたり活躍した外国人選手はそれほど多くない。最初の来日時点でメジャー通算1922安打を放っていた名選手で、野球に向き合う真摯な姿勢からもチームにも大きな影響を与えたフリオ・フランコの在籍年数はわずか2年(95、98年)。00~01年に2年連続100打点をクリアしたフランク・ボーリックも4年で帰国している。

 また、投手では01年にネイサン・ミンチーが広島から移籍し、防御率3.26でリーグ1位。翌02年にも15勝するなど好投を続けたが、やはり在籍年数は4年と短く、"最高傑作"には6年間在籍して通算出塁率.374のベニーを選んだ。

 ベニーはメッツ時代の監督でもあったボビー・バレンタインとともに04年にロッテに加わると、打率.315、35本塁打、100打点。ハワイ出身であることから"ハワイアン・パンチ"のニックネームでファンに親しまれた。20本塁打以上はこの年のみで、その後は打率.280/15本塁打前後のシーズンが続いたが、選球眼の良さで長くチームに貢献した。

 なお、実働期間ではベニーに劣るが、今季も打線の中核として重きをなしている2人の助っ人、ブランドン・レアードとレオニス・マーティンも外せない。ともに卓越した打撃だけでなく、人格やキャラクターでもファンやチームメイトに愛されている。
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“投手王国”ソフトバンクからは、あの最強クローザーを選出