8月27日のソフトバンク戦で、日本ハムのポンセがノーヒットノーランを達成した。
NPBにおいて助っ人外国人がノーヒッターを達成をしたのは、史上7人目(外国人枠制定以降)。この機会に、過去6人の達成者の快挙をプレイバックしてみよう。
▼ジーン・バッキー(阪神) 1965年6月28日 vs巨人(甲子園球場)
初の助っ人外国人ノーヒッターは、阪神と巨人の“伝統の一戦”で成し遂げられた。達成したのは前年の沢村賞投手バッキーだ。王貞治と長嶋茂雄の“ON砲”を擁する巨人打線との黄金カードに、甲子園球場は満員だった。
バッキーは得意のナックルを初回から多投。変幻自在の投球に巨人の打者はことごとくバットの芯を外され、3回が終わった時点で内野ゴロがすでに6個を数えていた。4回以降も巨人打線はナックルを捉えられず、時折、芯を食った打球も阪神守備陣のファインプレーに阻まれた。3巡目に入るとようやく打球が上がるようになってきたが、すべて凡フライに終わった。
テンポ良く投げていたバッキーがノーヒッターを意識したのは9回になってから。球場を埋め尽くした4万8000人の大観衆が息を殺して見守るなか、バッキーはいずれも内野ゴロで三者凡退に打ち取って危なげなく快挙を達成。「テンプラやスキヤキより、この記録の方が素晴らしい」と、独特の表現で喜んだ。
▼郭泰源(西武) 1985年6月4日 vs日本ハム(平和台球場)
この日、先頭打者への第1球を投じた瞬間、郭は「今日は何か凄いことができる」と予感したという。そして約2時間後、彼の予感は現実のものとなる。
前年のロス五輪で最速158キロを叩き出し、“オリエンタル・エクスプレス”の異名を奉られた剛腕投手として注目された郭だが、来日してからは変化球も交えて打たせて取るスタイルを変えていた。この日も制球とテンポを重視した投球で次々と打者を打ち取っていく。初回と2回は三者凡退、3回には2者連続死球を与えたものの、すぐさま立ち直る。
4回から8回はすべて三者凡退に打ち取って、郭は9回裏のマウンドへ上がった。2死から一塁方向へ平凡なフライが上がるも、緊張からか一塁手が落球。だが、それでも郭は冷静だった。3番の津末英明を追い込むと、最後はカーブで見逃し三振に仕留め、今度こそ快挙達成。予感通りに「凄いこと」を成し遂げた右腕は、ファンの歓声に両手を挙げて笑顔で答えた。
▼テリー・ブロス(ヤクルト) 1995年9月9日 vs巨人(東京ドーム)
ある意味で最高の下剋上だった。松井秀喜や落合博満を擁する強力打線に加え、相手先発はこの年2度目の沢村賞を受賞する大エースの斎藤雅樹。巨大戦力の巨人を相手にノーヒットノーランを成し遂げたのは、年俸4000万円でテスト入団した格安助っ人だった。
メジャーでは未勝利ながら、身長205cmから繰り出す角度のある速球で当時の野村克也監督に見出されたブロスは、開幕4連勝と快進撃を見せ、この日も絶好調だった。斎藤とともに、お互い4回までパーフェクトの好投。5回に2点を失った相手先発を尻目にブロスは快投を続け、ついには7回まで1人のランナーも許さなかった。
残念ながら8回1死から代打・大森剛に与えた死球で完全試合の夢は潰えたが、直後に痛烈なライトライナーを稲葉篤紀が好捕してくれたことで再び奮起。9回2アウトからシェーン・マックの打ち上げたフライが捕手・古田敦也のミットに収まった瞬間、ブロスはかがみ込むようにガッツポーズして喜びをかみしめた。
NPBにおいて助っ人外国人がノーヒッターを達成をしたのは、史上7人目(外国人枠制定以降)。この機会に、過去6人の達成者の快挙をプレイバックしてみよう。
▼ジーン・バッキー(阪神) 1965年6月28日 vs巨人(甲子園球場)
初の助っ人外国人ノーヒッターは、阪神と巨人の“伝統の一戦”で成し遂げられた。達成したのは前年の沢村賞投手バッキーだ。王貞治と長嶋茂雄の“ON砲”を擁する巨人打線との黄金カードに、甲子園球場は満員だった。
バッキーは得意のナックルを初回から多投。変幻自在の投球に巨人の打者はことごとくバットの芯を外され、3回が終わった時点で内野ゴロがすでに6個を数えていた。4回以降も巨人打線はナックルを捉えられず、時折、芯を食った打球も阪神守備陣のファインプレーに阻まれた。3巡目に入るとようやく打球が上がるようになってきたが、すべて凡フライに終わった。
テンポ良く投げていたバッキーがノーヒッターを意識したのは9回になってから。球場を埋め尽くした4万8000人の大観衆が息を殺して見守るなか、バッキーはいずれも内野ゴロで三者凡退に打ち取って危なげなく快挙を達成。「テンプラやスキヤキより、この記録の方が素晴らしい」と、独特の表現で喜んだ。
▼郭泰源(西武) 1985年6月4日 vs日本ハム(平和台球場)
この日、先頭打者への第1球を投じた瞬間、郭は「今日は何か凄いことができる」と予感したという。そして約2時間後、彼の予感は現実のものとなる。
前年のロス五輪で最速158キロを叩き出し、“オリエンタル・エクスプレス”の異名を奉られた剛腕投手として注目された郭だが、来日してからは変化球も交えて打たせて取るスタイルを変えていた。この日も制球とテンポを重視した投球で次々と打者を打ち取っていく。初回と2回は三者凡退、3回には2者連続死球を与えたものの、すぐさま立ち直る。
4回から8回はすべて三者凡退に打ち取って、郭は9回裏のマウンドへ上がった。2死から一塁方向へ平凡なフライが上がるも、緊張からか一塁手が落球。だが、それでも郭は冷静だった。3番の津末英明を追い込むと、最後はカーブで見逃し三振に仕留め、今度こそ快挙達成。予感通りに「凄いこと」を成し遂げた右腕は、ファンの歓声に両手を挙げて笑顔で答えた。
▼テリー・ブロス(ヤクルト) 1995年9月9日 vs巨人(東京ドーム)
ある意味で最高の下剋上だった。松井秀喜や落合博満を擁する強力打線に加え、相手先発はこの年2度目の沢村賞を受賞する大エースの斎藤雅樹。巨大戦力の巨人を相手にノーヒットノーランを成し遂げたのは、年俸4000万円でテスト入団した格安助っ人だった。
メジャーでは未勝利ながら、身長205cmから繰り出す角度のある速球で当時の野村克也監督に見出されたブロスは、開幕4連勝と快進撃を見せ、この日も絶好調だった。斎藤とともに、お互い4回までパーフェクトの好投。5回に2点を失った相手先発を尻目にブロスは快投を続け、ついには7回まで1人のランナーも許さなかった。
残念ながら8回1死から代打・大森剛に与えた死球で完全試合の夢は潰えたが、直後に痛烈なライトライナーを稲葉篤紀が好捕してくれたことで再び奮起。9回2アウトからシェーン・マックの打ち上げたフライが捕手・古田敦也のミットに収まった瞬間、ブロスはかがみ込むようにガッツポーズして喜びをかみしめた。
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