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MLB

DeNA三浦監督が「代打・藤田一也」に託した想い。CSで垣間見えた“番長野球”の真髄<SLUGGER>

萩原孝弘

2022.10.11

一打サヨナラの場面で三浦監督(左)はベテランの藤田(右)にすべてを託す。さまざまな声が聞かれる、この采配の裏にある“想い”とは。写真●萩原孝弘

一打サヨナラの場面で三浦監督(左)はベテランの藤田(右)にすべてを託す。さまざまな声が聞かれる、この采配の裏にある“想い”とは。写真●萩原孝弘

 阪神とのCSファーストステージ第3戦、2対3で迎えた9回裏1死満塁。一打サヨナラの場面で代打に藤田一也がコールされると、横浜スタジアムに地響きのような拍手が轟いた。

 しかし約30秒後、藤田は初球を振り抜くもセカンドゴロ併殺打となって試合終了。ファーストベースに頭から飛び込んだ40歳の大ベテランは、その場から自力では動くことができなかった。

【動画】ハマスタが熱く盛り上がった「代打・藤田」。果たしてその結果は――

 ベンチには“虎キラー”・大田泰示(今季阪神戦で33打数14安打、打率.424、OPS1.138)も残っていたが、藤田を送った理由について三浦大輔監督は「藤田の経験というものに(賭けた)」と説明。2013年の楽天初の日本一に貢献した意地に信頼を置いていたという。「藤田もしっかり準備して、思いきっていった結果」と、その決断に後悔はなかった。
 
 藤田は2004年、暗黒時代真っ只中のベイスターズに、自ら入団したいと公言。近畿大で安打製造機と評された巧打だけでなく突出した守備力を発揮し、多くの球団が注目していた中、藤田は「大学3年からずっと宮本さん(当時の近畿担当スカウトだった宮本好宣氏)が見てくれていたんです。雨の日も台風の時でさえ」と語った。スカウトの熱意が「ベイスターズ以外なら社会人」と意を決することとなった経緯がある。

 晴れてドラフト4位で入団が決まった藤田は、その華麗な守備で“ハマの牛若丸“のニックネームで愛された。しかし12年6月24日、楽天に電撃移籍。トレードが決定した大阪で急きょお別れ会が開かれ、チームメイトが涙した。

 楽天での活躍は目覚ましく、ベストナイン2回、ゴールデン・グラブ賞も3回受賞。13年には球団初の日本一に貢献し、すっかり“杜の牛若丸“となったが、21年オフに戦力外通告を受け、今年10年ぶりにベイスターズに復帰した。

「横浜愛を持って戦いたい」と、愛するベイスターズで優勝するために帰ってきた熱血漢であり人格者。サイドストーリーを知るファンにとって、また、ともに戦った三浦監督を含め首脳陣の期待も背負って打席に立った背番号3の起用は、もちろん勝ちに行くための采配だっただけでなく、チームの歴史をも紡ぐものでもあった。
 
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