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MLB

“元祖スプリッター男”にして“元祖クローザー”。『大リーグ中継』でもおなじみだったブルース・スーターの生涯<SLUGGER>

豊浦彰太郞

2022.10.23

06年に殿堂入りした際、自分の現役時代の写真の横で記念撮影するスーター。もじゃもじゃのアゴ髭がトレードマークだった。(C)Getty Images

06年に殿堂入りした際、自分の現役時代の写真の横で記念撮影するスーター。もじゃもじゃのアゴ髭がトレードマークだった。(C)Getty Images

 リリーフ投手としては、史上4人目の野球殿堂入りを果たしたブルース・スーターが、現地時間10月13日に死去した。享年69。近年は癌との闘いが続いていたという。

 スーターは1976~88年まで、カブスやカーディナルスなどで計12シーズンにわたって活躍し(87年は故障で登板がなかった)、通算セーブはちょうど300。セーブ王は5回、球宴選出は4度を数える。

 スーターを語る際には、代名詞でもあったスプリット・フィンガー・ファストボール(スプリッター)に触れぬわけにはいかない。

 スーターは71年にドラフト外でカブスと契約してプロ人生を歩み始めたが、すぐにヒジを痛めた。手術後、球威を失ったスーターは73年の春季キャンプで、マイナーのピッチングインストラクター、フレッド・マーティンからスプリッターの習得を勧められた。手が大きく、指が長かったことが、スーターにキャリアの転機をもたらした。
 
 76年にメジャーデビューを果たしたスーターは、翌年にはリーグ2位の31セーブ、防御率1.34と好成績を残し、早くも球界有数のリリーバーとしての評価を得る。そして、79年には当時のメジャー最多タイ記録の37セーブを挙げ、リリーフ史上3人目サイ・ヤング賞を受賞した。

 この年、交代完了が56もあったのは、スーターに限らず当時のリリーフエースがセーブ・シチュエーションでなくとも登板するのが一般的だったからだ。実際、スーターは、77年から84年の8シーズンで、5度もシーズン100イニング以上を記録している。82.1回だった81年も2ヵ月近くに及んだ選手会ストライキがなければ、100イニングに達した可能性が高い。

 70年代後半に颯爽と登場したスーターは、78年のフジテレビによる画期的な『大リーグ中継』(実際は生中継ではなく録画だったが)の開始により、日本のファンもリアルタイムでその活躍を見ることができた。当時はMLB解説の第一人者だったパンチョこと伊東一雄氏が、「リグリー・フィールドでは彼が登場すると、『スーター!スーター!』のチャント(コールのこと)が凄いんですよ」と臨場感たっぷりに語っていたのをよく覚えている。
 

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