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プロ野球

【追悼・大島康徳】史上屈指の“代打男”、失明の危機から1か月で再起…「負くっか魂」を貫いたレジェンドの知られざる逸話4選

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2021.07.05

26年の現役生活で、2290試合かけて通算2000本安打を積み重ねた。これは当時史上最も長い記録で、今も歴代2位。大島の不屈さを表している。写真:産経新聞社

26年の現役生活で、2290試合かけて通算2000本安打を積み重ねた。これは当時史上最も長い記録で、今も歴代2位。大島の不屈さを表している。写真:産経新聞社

 現役時代は中日と日本ハムで20年以上にわたって活躍し、日本ハム監督や第1回WBCの打撃コーチも歴任した野球解説者・大島康徳氏が6月30日、大腸がんのため亡くなった。享年70。2016年に「余命1年」と診断されながらも不屈の意思で闘病を続け、まさに座右の銘「負くっか!」(故郷である大分県の方言で「負けるか!」の意味)を体現した人生を送った。ここでは、そんな彼の知られざる逸話を4つ紹介しよう。

▼野球を始めたのは高校生から
 1983年に本塁打王も獲得し、歴代19位の通算2204安打を残した大打者だが、意外にも野球を始めたのは高校からだったという。にもかかわらず、中津工業高では「4番・投手」を務めるなど、チームの中心として活躍。68年のドラフトでは中日から3位指名を受けている。

 中日は当初から打者としての才能に目を付けていたらしく、プロ入り後は打者に転向。当時の監督だった水原茂や、二軍監督の本多逸郎の熱心な指導を受けた。当初は確実性を欠いていたため、本格的なレギュラー定着はプロ入り11年目の79年頃からと遅咲きだったが、その後の実績を見れば水原や本多の目が正しかったことは明らかだ。
 
▼実はあぶさんばりの“代打男”だった
 大島はレギュラーとしてだけでなく、代打としても豊富な実績を誇る。76年には代打で7本塁打を放ち、それまで高井保弘(元阪急)が持っていたシーズン代打本塁打記録を更新。これは現在もプロ野球記録として残っている。同じく代打男を主人公にした水島新司の人気漫画『あぶさん』に登場したこともある。

 通算代打本塁打も20本で高井に次いで歴代2位。ただ、大島の代打記録はあまり知られているとは言えない。高井の存在があまりにも大きすぎるのも一因だが、現役生活のほとんどを代打として過ごした高井と異なり、大島はキャリアの中盤以降バリバリのレギュラーとして活躍していたことも大きい。なお、現役晩年は再び代打に戻り、最終年となった94年には打率.323、21安打で22打点を挙げるなど、さすがのクラッチヒッターぶりを見せていた。
 
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