MLB

数々の強打者を輩出したレッドソックスの左翼。新たな「グリーンモンスターの番人」吉田正尚が栄光の伝統継承に挑む<SLUGGER>

出野哲也

2022.12.12

左から“最後の4割打者”ウィリアムズ、三冠王に輝いたヤズ、日本でも人気を集めたラミレス。いずれも歴史に残る強打者だ。(C)Getty Images

 ポスティングでのMLB移籍を目指していた吉田正尚がレッドソックスと契約した。5年9000万ドルという破格の条件が日米双方で関心を惹いているが、ボストンでは彼の守備位置がレフトである点も注目されている。レッドソックスのレフトは、巨人軍における三塁と同じく、伝統的にチームの看板選手が守り続けてきた花形ポジションだからだ。

 本拠地のフェンウェイ・パークは、1912年に建設された現存するメジャー最古の球場。その象徴が、レフトにそびえる高さ11.3mの巨大なフェンス、通称グリーン・モンスターである。もっとも、開場当初からあったものではなく、作られたのは34年、現在のような緑色に塗られたのは47年のこと。2003年からはその上に観客席が増設されて、プラチナチケットとなっている。

 フェンスまで94.5mしかないため、この球場で左翼手がカバーする範囲は広くはない。それは守備が決して得意ではない吉田にとって助かるはずで、代理人のスコット・ボラスも、契約を結ぶに際してその点を重視したと言っているほどだ。

 ただ、だからと言って守りやすいわけではない。距離は短くてもフェンスが高いため、他の球場ならレフトフライ止まりの高い飛球がホームランになる一方、通常なら観客席に飛び込むようなライナーはフェンスを直撃してしまう。レッドソックスの左翼手は、その種の打球を多々処理することになるので、早いうちにコツをつかむ必要はある。
 
"モンスター"ができる前から、フェンウェイ・パークのレフトは傾斜部分があって、守るには特殊な技能が必要とされた。そのために当時から左翼手に注目が集まった。ベーブ・ルースもボストンにいる頃は、投手としてマウンドに立たない時には左翼手として活躍していた。

 しかし、「左翼手=レッドソックスの顔」という図式が決定的になったのは、39年にデビューしたテッド・ウィリアムズ以降である。史上最高の天才打者と言われ、41年には現時点で最後の打率4割を達成したほか、三冠王2回、首位打者6回。1年目はライトを守っていたウィリアムズだが、2年目からは引退する60年まで21年間ずっとレフトを守った。

 ウィリアムズ引退後、そのポジションを引き継いだのが"ヤズ"ことカール・ヤストレムスキーだった。こちらも67年に三冠王となり、チームを劇的な逆転優勝に導くなど前任者に劣らぬスターに成長。MLB歴代9位の通算3419安打を記録し、7度のゴールドグラブを手にするなど好守でも知られた。

 73年以降は一塁での起用が多くなったヤズに代り、75年に正左翼手となったのはジム・ライス。スイングの強烈さから「投手が最も恐れる打者」と言われたライスは本塁打王3回。78年は本塁打と打点の二冠で打率も3位。惜しいところで先輩2人に続く三冠王を逃したが、MVPを獲得した。
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あのグリーンウェルも“モンスターの番人”だった