2023年の始まりとともに、プロ野球も新人たちの入寮が続いている。今年は独立リーグから計10人の選手たちがNPBの世界に足を踏み入れた。1月7日、埼玉西武ライオンズの選手寮「若獅子寮」にも2人の独立リーグ出身選手が入寮した。
「ここからがスタート」と、意気込んでいたのが育成ドラフト1位・野村和輝内野手だ。去年3月の高校卒業後はNPB入りを見据え、石川ミリオンスターズ(日本海オセアンリーグ)に入団。元オリックスの後藤光尊監督の下で研鑽を積み、高卒1年目でNPB入りを果たした。担当した鈴木敬洋スカウトが「飛ばす能力が高い」と惚れ込んだ強打が売りの内野手である。
「独立リーグで1年間プレーできたことは、これからに繋がっていくと思います。後藤監督からは『自分の意思をしっかり持って突き進め!』と言われました。独立時代は少し迷った時期もあったので、ここからはしっかり貫いていきたいと思います」
元々は空手をやっていたという野村が、野球を始めたのは小学校6年生。友人とのキャッチボールをしているときに誘われ、ボーイズリーグのチームに入団した。当初はボールの投げ方すら分からなかったというが、その時に両親から買ってもらった硬式用グローブを今回、寮に持ち込んだ。初心忘れるべからずということだろう。
「独立時代もたまにキャッチボールとかで使っていました。(買ってもらった)その頃からプロ野球選手になりたかったので、しっかり部屋に飾りたいと思います」
入寮までの間には、同じ日本海オセアンリーグから支配下指名を受けた濱将乃介内野手(中日5位/福井ネクサスエレファンツ)とともに汗を流した。
「すぐ支配下に入って、負けないように頑張りたい。支配下登録を勝ち取れるように、必死にやっていきたい」と、一軍の舞台での再会を誓った。
もう一人は、徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグ)から育成ドラフト2位指名を受けた日隈モンテル外野手。元々、投手としてNPB入りを目指していたが、昨年所属した徳島のトレーナーに、その俊足と身体能力を活かすためにと野手転向の打診受け、新たな可能性にすべてをかける決断をした。そして、西武が行った身体能力を測定する入団テストで驚きの数値を記録し、球団編成部の目に止まった。
「僕の持ち味は足。それを生かした守備範囲の広さなので、それを生かして頑張りたいです。まだ支配下選手になっていないので、いち早く支配下選手になって、球場で大暴れしたいと思います」
独立リーグでは計3年間プレーした。徳島に入る前の2年間は、20年に出身地の沖縄に誕生した琉球ブルーオーシャンズに所属し、NPBを目指した。コロナ禍で思うようにいかないなかでも、琉球1年目には巨人のプロテストに合格。ドラフト指名を待ったが最後までその名を呼ばれず涙を飲んだ。NPBを夢見続けてきたこの3年間はどんな時間だったのか。
「苦しい思いばかりでした。琉球1年目には指名漏れも経験しましたが、でもそれがあったからNPB入りできたと思っています。その苦しい思いをしてきたという部分では、誰にも負けないと思うので、その経験を糧にして、支配下に入って一軍で活躍したいと思います」
「ここからがスタート」と、意気込んでいたのが育成ドラフト1位・野村和輝内野手だ。去年3月の高校卒業後はNPB入りを見据え、石川ミリオンスターズ(日本海オセアンリーグ)に入団。元オリックスの後藤光尊監督の下で研鑽を積み、高卒1年目でNPB入りを果たした。担当した鈴木敬洋スカウトが「飛ばす能力が高い」と惚れ込んだ強打が売りの内野手である。
「独立リーグで1年間プレーできたことは、これからに繋がっていくと思います。後藤監督からは『自分の意思をしっかり持って突き進め!』と言われました。独立時代は少し迷った時期もあったので、ここからはしっかり貫いていきたいと思います」
元々は空手をやっていたという野村が、野球を始めたのは小学校6年生。友人とのキャッチボールをしているときに誘われ、ボーイズリーグのチームに入団した。当初はボールの投げ方すら分からなかったというが、その時に両親から買ってもらった硬式用グローブを今回、寮に持ち込んだ。初心忘れるべからずということだろう。
「独立時代もたまにキャッチボールとかで使っていました。(買ってもらった)その頃からプロ野球選手になりたかったので、しっかり部屋に飾りたいと思います」
入寮までの間には、同じ日本海オセアンリーグから支配下指名を受けた濱将乃介内野手(中日5位/福井ネクサスエレファンツ)とともに汗を流した。
「すぐ支配下に入って、負けないように頑張りたい。支配下登録を勝ち取れるように、必死にやっていきたい」と、一軍の舞台での再会を誓った。
もう一人は、徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグ)から育成ドラフト2位指名を受けた日隈モンテル外野手。元々、投手としてNPB入りを目指していたが、昨年所属した徳島のトレーナーに、その俊足と身体能力を活かすためにと野手転向の打診受け、新たな可能性にすべてをかける決断をした。そして、西武が行った身体能力を測定する入団テストで驚きの数値を記録し、球団編成部の目に止まった。
「僕の持ち味は足。それを生かした守備範囲の広さなので、それを生かして頑張りたいです。まだ支配下選手になっていないので、いち早く支配下選手になって、球場で大暴れしたいと思います」
独立リーグでは計3年間プレーした。徳島に入る前の2年間は、20年に出身地の沖縄に誕生した琉球ブルーオーシャンズに所属し、NPBを目指した。コロナ禍で思うようにいかないなかでも、琉球1年目には巨人のプロテストに合格。ドラフト指名を待ったが最後までその名を呼ばれず涙を飲んだ。NPBを夢見続けてきたこの3年間はどんな時間だったのか。
「苦しい思いばかりでした。琉球1年目には指名漏れも経験しましたが、でもそれがあったからNPB入りできたと思っています。その苦しい思いをしてきたという部分では、誰にも負けないと思うので、その経験を糧にして、支配下に入って一軍で活躍したいと思います」