「"日本のエース"は世界でどれだけ通用するのか?」――そんな視線を向けられた今回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、山本由伸(オリックス)が見せたのは普段と変わらないピッチングだった。
東京ドームで行なわれた1次ラウンド第4戦のオーストラリア代表戦で先発し、4回を投げて被安打1、無四球で無失点。続くマイアミのローンデポ・パークで行なわれた準決勝のメキシコ代表戦での登板では、5回から2番手として3イニングを無安打(与四球2)で無失点に抑えた後、同点に追いついてもらった8回表に一死から3連打を浴びて降板。3イニングと1/3を投げて2失点という結果だった。
「野球人生の中でも最高の経験です」
白熱したメキシコ戦を勝利して決勝進出を決めると、山本はそう振り返っている。
世界に類を見ないピッチャーになりたい――。
そんな野望を胸に秘める山本にとって、ヒスパニック系の観客も多いマイアミ・マーリンズの本拠地での登板、そしてランディ・アロザレーナ(タンパベイ・レイズ)、ジョーイ・メネセス(ワシントン・ナショナルズ)、ラウディ・テレーズ(ミルウォーキー・ブリュワーズ)などメジャー各球団の主力クラスを擁すメキシコとの対戦は今後の試金石になっただろう。
まだ無名だったオリックス1年目の春から、いつか世界の舞台に立つと力を磨いてきた。当時はオーソドックスな投球フォームだったが、右腕を大きく伸ばして投げるような独特な投げ方に至ったのも、海外での飛躍を視野に入れての決断だった。
今回のWBCで山本が示したのは、大きく2つある。
1つ目は、各球種の質の高さ。150キロ台のストレート、フォーク、カットボール、カーブをいずれもコントロール良く投じた。そして、2つ目は新フォーム、つまり左足を上げずに投げても以前と同じようなボールを投げられるということだ。
「おそらく、次のステップに進もうということだと思います」
元プロ投手たちに見解を求めると、いずれもそうした答えが返ってきた。山本はメディアに対して新フォームの明確な狙いを明かしていないが、昨年から変えるということは、次の段階に進もうとしているのは明らかだ。
高校時代から最速151キロのストレートを投じるなど質の高い球を投げてきた山本だが、投げるたびに右肘の張りを感じていた。出力が高すぎるあまり、身体が悲鳴を上げていたのだ。
そんななか、プロ入り1年目の4月に出会ったのが現在も師事する矢田修トレーナーだった。彼の下で身体の内側から磨き上げていくエクササイズなどを行ない、独特の投球フォームにたどり着いた。
身体全体を連動させて使えるようになっていった結果、右ヒジが張ることはなくなったという(取り組みの詳細は長くなるので本稿では割愛する。詳細を知りたい人は拙著『山本由伸 常識を変える投球術』と参照してほしい)。
東京ドームで行なわれた1次ラウンド第4戦のオーストラリア代表戦で先発し、4回を投げて被安打1、無四球で無失点。続くマイアミのローンデポ・パークで行なわれた準決勝のメキシコ代表戦での登板では、5回から2番手として3イニングを無安打(与四球2)で無失点に抑えた後、同点に追いついてもらった8回表に一死から3連打を浴びて降板。3イニングと1/3を投げて2失点という結果だった。
「野球人生の中でも最高の経験です」
白熱したメキシコ戦を勝利して決勝進出を決めると、山本はそう振り返っている。
世界に類を見ないピッチャーになりたい――。
そんな野望を胸に秘める山本にとって、ヒスパニック系の観客も多いマイアミ・マーリンズの本拠地での登板、そしてランディ・アロザレーナ(タンパベイ・レイズ)、ジョーイ・メネセス(ワシントン・ナショナルズ)、ラウディ・テレーズ(ミルウォーキー・ブリュワーズ)などメジャー各球団の主力クラスを擁すメキシコとの対戦は今後の試金石になっただろう。
まだ無名だったオリックス1年目の春から、いつか世界の舞台に立つと力を磨いてきた。当時はオーソドックスな投球フォームだったが、右腕を大きく伸ばして投げるような独特な投げ方に至ったのも、海外での飛躍を視野に入れての決断だった。
今回のWBCで山本が示したのは、大きく2つある。
1つ目は、各球種の質の高さ。150キロ台のストレート、フォーク、カットボール、カーブをいずれもコントロール良く投じた。そして、2つ目は新フォーム、つまり左足を上げずに投げても以前と同じようなボールを投げられるということだ。
「おそらく、次のステップに進もうということだと思います」
元プロ投手たちに見解を求めると、いずれもそうした答えが返ってきた。山本はメディアに対して新フォームの明確な狙いを明かしていないが、昨年から変えるということは、次の段階に進もうとしているのは明らかだ。
高校時代から最速151キロのストレートを投じるなど質の高い球を投げてきた山本だが、投げるたびに右肘の張りを感じていた。出力が高すぎるあまり、身体が悲鳴を上げていたのだ。
そんななか、プロ入り1年目の4月に出会ったのが現在も師事する矢田修トレーナーだった。彼の下で身体の内側から磨き上げていくエクササイズなどを行ない、独特の投球フォームにたどり着いた。
身体全体を連動させて使えるようになっていった結果、右ヒジが張ることはなくなったという(取り組みの詳細は長くなるので本稿では割愛する。詳細を知りたい人は拙著『山本由伸 常識を変える投球術』と参照してほしい)。