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プロ野球

ヤングジャイアンツを変えたレジー・スミス、史上最大の大物AJがもたらした勝利のマインド――大物助っ人がチームに与える好影響 <SLUGGER>

筒居一孝(SLUGGER編集部)

2023.06.17

星野監督(右)と談笑するジョーンズ(左)。大物メジャーリーガーの風格と陽気な性格が、若いチームと闘将の間を橋渡しした。写真:産経新聞社

星野監督(右)と談笑するジョーンズ(左)。大物メジャーリーガーの風格と陽気な性格が、若いチームと闘将の間を橋渡しした。写真:産経新聞社

 今季からDeNAに加入した元サイ・ヤング賞投手トレバー・バウアーは、チームの投手陣に積極的にアドバイスを送り、斎藤隆投手コーチからも「間違いなく良い結果をもたらしてくれている」と絶賛されている。バウアーと同じように、大物助っ人がチームにケミストリーがもたらしたケースはこれまでも少なくない。メジャーの実績を鼻にかけることなく、チームに多くの好影響を与えた選手を4人紹介しよう。

●クリート・ボイヤー(1972~75年/大洋) 

 60年からリーグ5連覇を達成したヤンキースで正三塁手を務めた男。かのハンク・アーロンから「三塁守備はメジャーでもナンバー1」と称賛され、ブレーブス時代の69年にはゴールドグラブを受賞している。本来はNPBでプレーするような選手ではなかったが、球団フロントとの深刻な対立でMLBでのプレーの道を絶たれて来日。鉄壁の守備と親分肌な性格で、DeNAの前身である大洋ホエールズに多大な影響を与えた。

 守備の動きの流麗さは、まさに「捕るが早いか、投げるが早いか」だった。三塁線の当たりに華麗なダイビングキャッチを決めたり、両ヒザをついたまま一塁に凄まじい勢いの送球をしたりと、本場メジャーの守備には選手もファンもとにかく驚愕。二塁のジョン・シピンとの併殺プレーも絶品だった。その技術と面倒見のいい性格を買われ、73~74年にはコーチを兼任。大洋の選手たちからは「ティーチャー」と呼ばれて慕われ、のちに遊撃で8年連続ゴールデン・グラブを受賞する山下大輔らを育て上げた。
 
●レジー・スミス(1983~84年/巨人)

 通算314本塁打は、来日当時はスウィッチヒッターではメジャー歴代2位(現在も8位)。レッドソックスやドジャースなど名門で主力として活躍し続け、オールスターに7度も出場した超大物だった。来日当時すでに38歳だったが、83年はわずか102試合で28本塁打とパワーを見せつけた。

 当時の巨人は原辰徳をはじめ主力に若い選手も多く、ベテランのスミスにアドバイスを請う者も多かった。スミスは「アグレッシブであれ。次の塁を積極的に狙い、時にはスライディングで思いっきり突っ込め」と勝利の執念をヤングジャイアンツに教え込んだ。84年に加入したウォーレン・クロマティはメジャーでの経験を鼻にかけていたが、実績で上回るスミスの前では直立不動だったという。わずか2年、計186試合の出場ながら、チームリーダーとしての存在感は大きかった。 
 

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