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前年のサイ・ヤング賞投手が新天地で鬼神の活躍、リーグ間移籍で本塁打王が幻に...MLB夏の衝撃トレード史<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2023.07.31

両リーグ本塁打王だったにもかかわらず、移籍によりタイトルが取れなかったマグワイア(左)や、サイ・ヤング賞受賞翌年に移籍したサバシア(右)のようなケースもある。(C)Getty Images

 現地8月1日に迫ったMLBのトレード・デッドライン。盛んに取り沙汰されていた大谷翔平のトレードは、エンジェルスが買い手に回ったことで消滅したが、例年は大谷のような大物選手の途中移籍も珍しくない。ここでは、MLB史に残る衝撃のデッドライン・トレードを紹介しよう。

●マーク・マグワイア
(アスレティックス→カーディナルス/1997年7月31日)

 目下、ア・リーグ本塁打王レースで独走している大谷だが、もし途中トレードでナ・リーグ球団に移籍していたら、タイトルはおそらく獲得できなかっただろう。実際、過去にもそんなケースがあった。

 1997年、マグワイアは6月終了までに29本塁打を量産。トレード・デッドラインの7月31日を迎えた時点でも、34ホーマーでリーグ2位の2位のケン・グリフィーJr.(マリナーズ)にこの時点で2本差をつけていた。

 だが、期限日当日に3対1のトレードでカーディナルスへ移籍。新天地では51試合で24本塁打とさらにペースを上げ、最終的に58本まで積み上げた。これはMLB最多の数字だったが、リーグをまたいで移籍したためにタイトルは獲得できず。それでも、あまりにすさまじい打棒から、ナ・リーグMVP投票でマグワイアに票を投じた記者もいたほどだった。マグワイアはこの時の悔しさをバネに(?)翌年、シーズン70本塁打のMLB記録(当時)を樹立したのだった。
 
●ノマー・ガルシアパーラ
(レッドソックス→カブス/2004年7月31日)

 96年にメジャーデビューしたガルシアパーラは、ボストンでは絶大な人気を誇っていた。97年に新人王を獲得すると、98年はMVP投票2位、99~00年は2年連続首位打者に輝き、アレックス・ロドリゲス、デレク・ジーターとともに"三大若手大型ショートストップ"として、球界全体でもトップスターの一人に数えられていた。

 そんなボストンのアイコンがトレード期限当日にカブス、エクスポズとの大型三角トレードで放出されてしまったのだから、レッドソックスファンが受けた衝撃は計り知れない。地元紙には、「ノマーが放出されたことを子供にどう説明するべきか」を指南するコラムまで掲載されたほどだった。

 確かに、FAイヤーだったこの年はアキレス腱の故障で出遅れ、球団との契約交渉も進まずと、どこか不穏な空気が漂っていた。だが、チームが宿敵ヤンキースと地区優勝を争う状況で、まさか最大の人気選手を放出するとは......。

 当時30歳だったセオ・エプスティーンGMは大きな批判も受けたが、この年のレッドソックスはヤンキースとのリーグ優勝決定シリーズで3連敗から4連勝する奇跡の大逆転劇を演じて86年ぶりの世界一を達成。"バンビーノの呪い"を打ち破った。一方、ガルシアパーラはその後は故障がちで、かつての打棒は取り戻せないまま、5年後の09年に引退した。
 
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サイ・ヤング賞翌年に途中放出され、“無双”したサバシア