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ベーブ・ルースのサイン入りボールに娘の大学進学基金設立を申し出た例も――MLBの「背番号へのお返し」はこんなに面白い<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2023.12.26

大谷(左)が背番号17のお礼にケリー(右)の夫人へポルシェを贈ったことが話題になっているが、MLBの「背番号へのお返し」ヒストリーは実に多種多様だ。(C)Getty Images

 ドジャースと契約した大谷翔平が、背番号17を譲ってくれたジョー・ケリーの夫人にポルシェを贈ったことが話題となっている。日本では大谷を「太っ腹だ」と称賛する声も多いが、実はMLBでは、背番号を譲ってもらったら"お返し"をするのは珍しいことではない。

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▼278万円の値が付いた背番号「24」

 通算1406盗塁の世界記録を持つMLB歴代屈指のスピードスター、リッキー・ヘンダーソンは、特に背番号24を好んで着けていた(アスレティックスでは永久欠番にもなっている)。延べ13球団に在籍した25年のMLB生活で、しばしばこの番号を譲ってもらっている。

 1989年のシーズン途中、ヤンキースからトレードで古巣アスレティックスの出戻ったヘンダーソンは、控え捕手ロン・ハッシーに24番を譲ってくれるように頼んだ。するとハッシーは、「オレの代わりにサイン会に出てくれるならいいぜ」と、あっさり快諾した。

 だがその4年後の93年、ブルージェイズにトレード移籍した時は、そう簡単にはいかなかった。24を着けていたターナー・ウォードに譲渡を頼んだところ、「2万5000ドル(当時のレートで約278万円)」を支払えと言われてしまった。ヘンダーソンはその年のオフに移籍してしまったため、たった3ヵ月24番を着けるために数百万を支払う羽目になったというわけだ。なお、背番号との引き換えで人気のアイテムはロレックスが一般的で(始めたのは名投手ロジャー・クレメンスといわれている)、現ナマをポンと支払ったという話はほとんど例がない。
 
▼超レア物サインボールと交換された背番号

 エンジェルスやレッドソックスなどで通算188勝を挙げたジョン・ラッキーは2002年にメジャーデビューして以来、キャリアのほぼすべてを背番号41で通した。14年途中にカーディナルスに移籍した時も当然、41番を着けたいと思っていた。

 当時、カーディナルスで41番を着けていたのは、パット・ニシェックというサイドスローのリリーフ投手だった。交渉にあたって、ラッキーは一計を案じた。ニシェックが球界屈指のカードコレクターであることに目を付けたのだ(何しろこの男、1800枚ものサイン入りベースボールカードを保有し、わざわざ自分のサイトで公開しているほどなのだ)。

「ベーブ・ルースのサイン入りボールを買って贈るから、代わりに41番をくれないか?」。ラッキーの提案に、ニシェックは即答でOKしたという。なお、ルースのサイン入りボールの推定価格は1万5000ドル(現在のレートで約213万円)。ニシェックは笑いが止まらなかっただろう。
 
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背番号のお礼が基金設立?