恩師である仰木彬監督の提案で「鈴木一朗」から登録名「イチロー」としたのは1994年。プロ3年目のこの年、イチローは当時のプロ野球新記録となるシーズン210安打を打ち立て、スターダムへ駆け上がった。17の数字から、原点となったオリックスでの9年間を振り返ろう。
3
94年はチームが2位に終わるもMVPに選ばれ、翌95年と96年はともにリーグ2連覇の立役者として受賞。野手の3年連続MVP獲得は史上唯一で、チームのOBである山田久志と並ぶ最長タイ記録だ。
4
1991年に"出世順位"とも呼ばれるドラフト4位で指名されて入団。1位指名された田口壮とは鉄壁の外野を築き、ともに打線の上位を担った。ちなみに、名球界入りした金本知憲や中村紀洋も同年の同じ順位でプロ入りしている。
5
ブレイクを果たした94年から5年連続最多安打。打順が3番に移って年々打席を減らしながらも、誰よりも多くのヒットを放った。最高出塁率にも5回(94~96、99、2000年)。95年には5つのタイトル(打率.342、出塁率.432、179安打、80打点、49盗塁)を獲得した。
6
シーズン最多安打記録を樹立して全国区となった翌年の95年から、パ・リーグでは最長の6年連続最多の敬遠。日本記録は王貞治の16年連続だ。
7
94年から前人未到の7年連続首位打者に輝き、その間は毎年出塁率4割&長打率5割超え。いずれの年もベストナインとゴールデン・グラブ賞を手中に収めた。
19
レギュラーに定着してからの7年間で19のタイトルを獲得。95年には首位打者(.342)と打点王(80)になり、本塁打もリーグトップに3本差の3位タイで三冠王に迫っている。同年はOPS.976や49盗塁なども1位で、18死球と17敬遠も最多だった。
48
96年8月に打率.475と打ちまくり、月間最多記録の48安打をマーク。同年の猛打賞26度と4安打以上8試合は当時の日本記録となった。
66
自慢の強肩で外野手として通算66補殺。95、98年にはそれぞれリーグ最多の14/12を記録した。
69
1994年5月21日から続けた69試合連続出塁と、同年の複数安打69試合はともにプロ野球記録。
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94年はチームが2位に終わるもMVPに選ばれ、翌95年と96年はともにリーグ2連覇の立役者として受賞。野手の3年連続MVP獲得は史上唯一で、チームのOBである山田久志と並ぶ最長タイ記録だ。
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1991年に"出世順位"とも呼ばれるドラフト4位で指名されて入団。1位指名された田口壮とは鉄壁の外野を築き、ともに打線の上位を担った。ちなみに、名球界入りした金本知憲や中村紀洋も同年の同じ順位でプロ入りしている。
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ブレイクを果たした94年から5年連続最多安打。打順が3番に移って年々打席を減らしながらも、誰よりも多くのヒットを放った。最高出塁率にも5回(94~96、99、2000年)。95年には5つのタイトル(打率.342、出塁率.432、179安打、80打点、49盗塁)を獲得した。
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シーズン最多安打記録を樹立して全国区となった翌年の95年から、パ・リーグでは最長の6年連続最多の敬遠。日本記録は王貞治の16年連続だ。
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94年から前人未到の7年連続首位打者に輝き、その間は毎年出塁率4割&長打率5割超え。いずれの年もベストナインとゴールデン・グラブ賞を手中に収めた。
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レギュラーに定着してからの7年間で19のタイトルを獲得。95年には首位打者(.342)と打点王(80)になり、本塁打もリーグトップに3本差の3位タイで三冠王に迫っている。同年はOPS.976や49盗塁なども1位で、18死球と17敬遠も最多だった。
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96年8月に打率.475と打ちまくり、月間最多記録の48安打をマーク。同年の猛打賞26度と4安打以上8試合は当時の日本記録となった。
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自慢の強肩で外野手として通算66補殺。95、98年にはそれぞれリーグ最多の14/12を記録した。
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1994年5月21日から続けた69試合連続出塁と、同年の複数安打69試合はともにプロ野球記録。