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1ヵ月で3度のDFAを糧に名門ヤンキースの勝ちパターン継投入り。トンキンの″鋼のメンタル”がもたらしたサクセスストーリー<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2024.06.14

18年に1年だけ日本にいたトンキンが、果たしてここまでのピッチャーになるとは、当時誰も想像しなかったに違いない。(C)Getty Images

18年に1年だけ日本にいたトンキンが、果たしてここまでのピッチャーになるとは、当時誰も想像しなかったに違いない。(C)Getty Images

 4月に3度もメジャー40人枠を外された34歳の投手が、2ヵ月後には名門ヤンキースのリリーフとして活躍する。そんな胸熱なサクセスストーリーを歩んでいる男がいる。2018年には日本ハムでもプレーしたマイケル・トンキンだ。

 ヤンキースに加入後、14試合に投げて防御率0.89。6月10日のロイヤルズ戦ではキャリア2度目のセーブを挙げた。たった3ヵ月でのスピード出世はなぜ実現したのか、ウェブメディア『ジ・アスレティック』にトンキン本人が語っている。

 技術的なことで言えば、トンキンのピッチングには2つの変化が加わっている。まず、2種類のスライダーのうち、より鋭く小さな変化をするものを多投するようになった。併せて、今春のキャンプで習得した2シームも織り交ぜるようになった結果、ゴロ率が急上昇。今やトンキンはメジャーでも有数の長打を打たれにくいリリーフ投手であると言っても過言ではない。

 だが、トンキン本人も、そしてヤンキースのチームメイトたちも、投球スタイルの変化にはあまり言及しない。むしろ、これまで苦労続きだったキャリアを通じて培った”鋼のメンタル”を称賛する声が目立つ。

「僕のキャリアは決して華やかなものじゃない」と本人も認める通り、トンキンは常にエリートコースの外を歩んできた。08年のドラフトでは30巡目(全体906位)という低い順位でツインズ入り。メジャーに上がっても平凡なリリーフ投手でしかなく、日本ハム時代もクローザーとして期待されながら、53登板で12セーブ、防御率3.71と「可もなく不可もなく」に終わり、1年で退団。その後はマイナーチームや独立リーグを渡り歩き、ようやくメジャーの舞台に戻ってきたのは昨季のことだった。
 
 強豪ブレーブスで45試合に登板して防御率4.28とそれなりに結果を残し、オフにはメッツから1年100万ドルの契約を得たが、この後にまた試練が待っていた。開幕直後の4月5日にDFAとなって40人枠を外れ、4日後に古巣ツインズへ復帰。しかし、たった8日でまたまたDFA。ウェーバーを経てメッツに戻ったと思ったら、22日に今季3度目のDFAを通告されるという激動の1ヵ月間を過ごした。最後の時は自分でも薄々DFAになることを悟り、「誰が自分のところに言いに来るんだろうと思っていたら、案の定コーチがやってきた」と自嘲気味に述懐している。

 まるでジェットコースターのような4月の経験を飛躍につなげてみせたトンキンの強靭なメンタルを、ヤンキースの正捕手ホゼ・トレビーニョは「対戦相手が自分以上の実力を持っているかなんて気にしない。誰が相手でも打ち取る準備ができている」、アーロン・ブーン監督も「恐れ知らずで、本当に競争心が強い。根性がある」と称賛している。

 トンキンの活躍もあり、ヤンキースはア・リーグ東地区の首位を快走している。もし、ワールドシリーズのマウンドでサクセスストーリーを締めくくることができれば、トンキンにとってはこれ以上ない瞬間になるだろう。

構成●SLUGGER編集部
 
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