9年前と同じ光景だったという。
今季から大リーグのシンシナティレッズに入団する秋山翔吾外野手が、古巣・西武ライオンズの球団事務所を訪れた。昨季、マリナーズに移籍した菊池雄星も行なった「移籍報告」のためだ。その後の記者会見で、秋山はメジャーを目の当たりにした時の印象を次のように語った。
「(大学のある)八戸からライオンズに来た時の衝撃とそんなに変わらなかったです。あの時も『プロの施設ってこんなにすごいんだ』と思いましたし、西武ドームに入った時も『こんな球場でやるのか』という衝撃がありました。この9年間で、見てきたものや知識の量が増えているので、その中でいうと新しい刺激だったなとは思いますけど、その辺はやっぱり変わらない。あの時も同じくらいの大きなもの持って入ったと思います」
変わらない光景。
当時と今の秋山に共通するのは、新しい世界に飛び込んでいく希望だったに違いない。
改めて秋山のN P Bでの9年間を振り返ると、プロの世界に衝撃を受け、多くを感じ、考え、そして、順応した日々だった。
例えば、入団当時、レギュラーでバリバリ活躍していた先輩選手の姿勢も、そのうちの一つだ。秋山は言う。
「コーチからは先輩の動きを見とけってよく言われたんですけど、栗山さんの練習に対する姿勢には衝撃を受けました。レギュラーでバリバリやる人でも、これだけの練習をしなくちゃいけないのかって」
ナイターの試合終了時刻が遅い時間になっても、室内練習場に向かう秋山の姿は、ここ数年の“西武ライオンズの日常”の一つに数えられたが、彼の意識を変えたのは先輩から受けた衝撃だったのである。
技術面で大きな変革に迫られたのが2015年だった。
それまでの秋山はレギュラーをつかんではいるものの、安定した結果を残せていたわけではなかった。特に前年の2014年は調子を落としていた。右肘を痛めていたこともあったが、打率は.259。このオフを治療に当てると、バッティングフォームを一から作り直し、彼は覚醒した。
「このままだったら、プロ野球の世界で生き残るのが厳しくなるのは目に見えていたので、何かを変えなきゃいけなかった。人生をかけるくらいで臨んだシーズンだった」
秋山は2014年まで、トップの位置を高くして、そこからボールを叩くようにコンタクトしていた。長打を打つためにスピンを掛ける狙いがあったからだった。
しかし、それではミートする確率が低く、トップの位置を下げて、レベルスイングの下からバットを出していくスタイルに変えたのだ。
1点集中でボールをコンタクトしていた形から、ラインを描くかのようにバットをアジャストする形に変える。そうして、しっかりとボールを捉える確率を上げていった。
「ヒットの数を増やすなら、まず逆方向の打球が打てるかどうか。ボールに逆らわないように逆方向に打つという意識ではなく、どんな球でも逆方向に打てる技術を身につけようと考えました」
逆方向への打ち方は様々あるが、秋山はバットを下から出し、ボールの右側を狙って打つ手法にたどり着いた。
今季から大リーグのシンシナティレッズに入団する秋山翔吾外野手が、古巣・西武ライオンズの球団事務所を訪れた。昨季、マリナーズに移籍した菊池雄星も行なった「移籍報告」のためだ。その後の記者会見で、秋山はメジャーを目の当たりにした時の印象を次のように語った。
「(大学のある)八戸からライオンズに来た時の衝撃とそんなに変わらなかったです。あの時も『プロの施設ってこんなにすごいんだ』と思いましたし、西武ドームに入った時も『こんな球場でやるのか』という衝撃がありました。この9年間で、見てきたものや知識の量が増えているので、その中でいうと新しい刺激だったなとは思いますけど、その辺はやっぱり変わらない。あの時も同じくらいの大きなもの持って入ったと思います」
変わらない光景。
当時と今の秋山に共通するのは、新しい世界に飛び込んでいく希望だったに違いない。
改めて秋山のN P Bでの9年間を振り返ると、プロの世界に衝撃を受け、多くを感じ、考え、そして、順応した日々だった。
例えば、入団当時、レギュラーでバリバリ活躍していた先輩選手の姿勢も、そのうちの一つだ。秋山は言う。
「コーチからは先輩の動きを見とけってよく言われたんですけど、栗山さんの練習に対する姿勢には衝撃を受けました。レギュラーでバリバリやる人でも、これだけの練習をしなくちゃいけないのかって」
ナイターの試合終了時刻が遅い時間になっても、室内練習場に向かう秋山の姿は、ここ数年の“西武ライオンズの日常”の一つに数えられたが、彼の意識を変えたのは先輩から受けた衝撃だったのである。
技術面で大きな変革に迫られたのが2015年だった。
それまでの秋山はレギュラーをつかんではいるものの、安定した結果を残せていたわけではなかった。特に前年の2014年は調子を落としていた。右肘を痛めていたこともあったが、打率は.259。このオフを治療に当てると、バッティングフォームを一から作り直し、彼は覚醒した。
「このままだったら、プロ野球の世界で生き残るのが厳しくなるのは目に見えていたので、何かを変えなきゃいけなかった。人生をかけるくらいで臨んだシーズンだった」
秋山は2014年まで、トップの位置を高くして、そこからボールを叩くようにコンタクトしていた。長打を打つためにスピンを掛ける狙いがあったからだった。
しかし、それではミートする確率が低く、トップの位置を下げて、レベルスイングの下からバットを出していくスタイルに変えたのだ。
1点集中でボールをコンタクトしていた形から、ラインを描くかのようにバットをアジャストする形に変える。そうして、しっかりとボールを捉える確率を上げていった。
「ヒットの数を増やすなら、まず逆方向の打球が打てるかどうか。ボールに逆らわないように逆方向に打つという意識ではなく、どんな球でも逆方向に打てる技術を身につけようと考えました」
逆方向への打ち方は様々あるが、秋山はバットを下から出し、ボールの右側を狙って打つ手法にたどり着いた。