専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
プロ野球

事故死したトニ・ブランコ氏をオリックス時代のトレーナーが追悼「語学の先生のような存在で本当に大切な“仲間”でした」【オリ熱コラム特別編】

どら増田

2025.04.11

豪快なバッティングとは裏腹に素顔は紳士だったブランコ氏。安宅氏には英語やスペイン語を教えていた。(写真提供)安宅優輔氏

豪快なバッティングとは裏腹に素顔は紳士だったブランコ氏。安宅氏には英語やスペイン語を教えていた。(写真提供)安宅優輔氏

 中日(2009~12)、DeNA(13~14)、オリックス(15~16)に在籍し、本塁打王や打点王のタイトルも獲得したトニ・ブランコ氏が日本時間9日、母国ドミニカ共和国の首都サントドミンゴにあるナイトクラブで発生した天井崩落事故に巻き込まれて帰らぬ人となってしまった。オリックス時代のチームメイトだったエステバン・ヘルマン氏を救ったとの報道もある。

 44歳という若さでこの世を去ったブランコ氏は、私がオリックスの現場取材を始めた15年、前年2位に躍進した森脇浩司監督(当時)率いるチームを優勝させるために中島宏之(引退)、小谷野栄一(現・阪神コーチ)、ブライアン・バリントン(引退)とともに大型補強の目玉として入団した。

 日本のプロ野球を熟知したホームランバッターの加入にファンは胸を踊らせていたが、開幕直後に故障で登録抹消。その後に再昇格するも右股関節を痛めて、戦線を離脱。結局、移籍1年目は52試合に出場、打率.240、9本塁打、13打点という成績に終わった。オフには瀬戸山隆三球団本部長(当時)がドミニカを訪問し、「来年が最後だぞ」と奮起を促したが、16年も怪我との戦いが続いて、わずか27試合の出場にとどまり、退団した。

 試合前のベンチ裏では私たち報道陣にも気さくに挨拶をしてくれるなど、とても温和なイメージの選手だった。当時のチームメイトでは中島氏がブランコ氏に限らず外国人選手のアフターケアを自ら買って出ていたこともあり、遠征中も楽しく過ごしていたのが印象的だ。また、加藤康幸編成部長(当時)の要請を受けた「足のリハビリスペシャリスト」アスレティックトレーナーの安宅優輔氏が付きっきりで、治療やリハビリに励んだという。
 今回の訃報を聞いた安宅氏は「かつてホームラン王に輝いた彼にとって、思うようなプレーができないリハビリの時期は苦しく悔しいものだったと思います。それでも彼は常に陽気で、チームやスタッフへの気遣いを忘れず、治療やプールでのリハビリにも真摯に取り組んでくれました」と当時を振り返ると、こう続けた。

「私自身も彼から英語やスペイン語を教わり、語学の先生のような存在でもありました。多くの時間をともに過ごし、言葉を交わし、笑い合った彼との日々は、今も鮮明に思い出されます」とブランコ氏の人柄の良さについても話してくれた。

 一緒に過ごした期間が濃密だっただけにショックも大きい。最後に「トニはただの選手ではありませんでした。本当に大切な"仲間"でした。心からご冥福をお祈りします。あなたの笑顔も優しさも、そして力強いスウィングもずっと忘れません」とファミリーの一員として死を悼んだ。今回の写真は安宅氏が提供してくれたもの。リハビリにも真摯に取り組んでいた姿がファンに伝わることを祈るとともに、心からご冥福をお祈りしたい。

取材・文●どら増田

【関連記事】オリックス開幕ダッシュ成功はなにわ男子・藤原丈一郎の始球式のおかげ?「この1球で勢いになったんじゃないかなって思いますね」【オリ熱コラム2025】

【関連記事】復活を目指す山﨑颯一郎が今季に期す思い「フォームを気にしなくなった。結果が出ればいい」【オリ熱コラム2025】

【関連記事】ドラフト1位の麦谷祐介が開幕一軍入り「野手はたった1球でも世界が変わる」【オリ熱コラム2025】


 

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号