1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から30年。オリックス・バファローズは、当時のブルーウェーブが掲げたスローガンを冠した『神戸シリーズ2025~がんばろう神戸 30th~』を、ほっともっとフィールド神戸で開催中だ。
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神戸での主催6試合を対象に、当時のブルーウェーブユニフォーム「ブルーフェーブ」を復刻。スタジアムには写真展「忘れない1995」も設置され、あの日の記憶をファンとともにたどる取り組みが始まっている。
シリーズ初日の5月31日には、1995年当時オリックス・ブルーウェーブのエースとして活躍した星野伸之さんが登場。写真展を見学し、試合前には始球式を務めた。
震災当日の記憶について問われると、星野さんは語り始めた。
「正直、やっぱりすごいなっていうのと、まず家族に連絡をしたらつながらなかったので、家族が一番心配だったというところですね」
当時、四国で自主トレ中だった星野さん。神戸の状況をテレビ越しに知ったという。
「最初、長田の煙が上がったところ。あれをまさに(テレビで)見て、すごい大きな地震やったけど、『映像的にはそこしか見なかったので、それぐらいで(被害が)済んだんだ』って思ったら、どんどんひどくなっていたっていう。それからやっぱり衝撃的だったのは、高速(道路)やビルが倒れたことですね。自宅は大丈夫だったんですけど、食器棚が反対の方に飛んでいたりとか、どんな力が働いたんだっていう。相当な衝撃だったんだろうなって」
当時のブルーウェーブは沖縄・宮古島でキャンプを予定していたが、選手たちは個別に現地入りするなど混乱の中にあった。
「正直キャンプもね、そうそこまでしっかりは(練習は)してなかったと思うんで。気持ちはね、勝たなきゃっていうのはあったんですけど」
被災地である神戸を本拠地にする球団として「野球をしていていいのか」という葛藤は大きかった。しかし、当時の宮内オーナーが「お客さんが一人も来なかったとしても、今年は神戸で試合を行う」と強く宣言。さらに交通機関の復旧目処が立っていない中で行われた3月のオープン戦初戦では、スタンドを埋め尽くすファンの姿があったことで、選手たちの覚悟は決まった。
「当然、ファンがあってのプロ野球だと思うんですけど、この年ほどそれを感じたことはないですね。本当に大した練習もしないで勝てたっていうのは後押しなんだろうなっていう。被災された方が盛り上がってくれるからこそ、頑張らなきゃっていうのがあったんでしょうね。本当に(応援によって)そういう力が出るんだっていう。不思議な思いをしました」
ファンの声援に背中を押されるように、ブルーウェーブは球団初のリーグ優勝を達成。「がんばろうKOBE」のワッペンを左肩に掲げ、チームと市民が一つになって駆け抜けたあの年は、今も語り継がれる。
そして30年──。星野さんは、今もなお完全には癒えていない傷のについてこう語った。
「いや、ほんとにあっという間だなっていうね。僕はおじいちゃんになりましたし、やっぱり30年経ったら(神戸の復興や子供の成長など)こんなんなるんだっていう。ただ、こうやって見て、復興したように思うけど。まだまだね、心の中にはいろいろ大変な人もいると思うので、まだ終わりじゃないんだろうなという感じはします」
建物やインフラが整備され、「過去の出来事」となりつつある震災の記憶。しかし、風化を防ぐためにも今回のような取り組みの継続が大切だ。
『神戸シリーズ2025~がんばろう神戸 30th~』は、今後もほっともっとフィールド神戸で7月4日、5日、17日、そして8月27日まで計6試合を予定。試合では当時の応援歌が数イニング限定で復活するほか、ブルーウェーブOBが来場。また当時の雰囲気を体感できるユニフォームやビジョン演出も展開される。
あの年、野球がくれた「希望の光」を未来へ──。30年目の今こそ、再び球場で体感してほしい。
文●野口航志
著者プロフィール:野口航志(ノグチコウジ) 1984年、神戸市生まれ。岡山大学卒業。記者とカメラマンの『二刀流』。プロ野球を中心に、社会人野球やプロレス・ボクシングなどの取材や撮影に携わる。オリックスブレーブス時代からのオリックスファン。
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神戸での主催6試合を対象に、当時のブルーウェーブユニフォーム「ブルーフェーブ」を復刻。スタジアムには写真展「忘れない1995」も設置され、あの日の記憶をファンとともにたどる取り組みが始まっている。
シリーズ初日の5月31日には、1995年当時オリックス・ブルーウェーブのエースとして活躍した星野伸之さんが登場。写真展を見学し、試合前には始球式を務めた。
震災当日の記憶について問われると、星野さんは語り始めた。
「正直、やっぱりすごいなっていうのと、まず家族に連絡をしたらつながらなかったので、家族が一番心配だったというところですね」
当時、四国で自主トレ中だった星野さん。神戸の状況をテレビ越しに知ったという。
「最初、長田の煙が上がったところ。あれをまさに(テレビで)見て、すごい大きな地震やったけど、『映像的にはそこしか見なかったので、それぐらいで(被害が)済んだんだ』って思ったら、どんどんひどくなっていたっていう。それからやっぱり衝撃的だったのは、高速(道路)やビルが倒れたことですね。自宅は大丈夫だったんですけど、食器棚が反対の方に飛んでいたりとか、どんな力が働いたんだっていう。相当な衝撃だったんだろうなって」
当時のブルーウェーブは沖縄・宮古島でキャンプを予定していたが、選手たちは個別に現地入りするなど混乱の中にあった。
「正直キャンプもね、そうそこまでしっかりは(練習は)してなかったと思うんで。気持ちはね、勝たなきゃっていうのはあったんですけど」
被災地である神戸を本拠地にする球団として「野球をしていていいのか」という葛藤は大きかった。しかし、当時の宮内オーナーが「お客さんが一人も来なかったとしても、今年は神戸で試合を行う」と強く宣言。さらに交通機関の復旧目処が立っていない中で行われた3月のオープン戦初戦では、スタンドを埋め尽くすファンの姿があったことで、選手たちの覚悟は決まった。
「当然、ファンがあってのプロ野球だと思うんですけど、この年ほどそれを感じたことはないですね。本当に大した練習もしないで勝てたっていうのは後押しなんだろうなっていう。被災された方が盛り上がってくれるからこそ、頑張らなきゃっていうのがあったんでしょうね。本当に(応援によって)そういう力が出るんだっていう。不思議な思いをしました」
ファンの声援に背中を押されるように、ブルーウェーブは球団初のリーグ優勝を達成。「がんばろうKOBE」のワッペンを左肩に掲げ、チームと市民が一つになって駆け抜けたあの年は、今も語り継がれる。
そして30年──。星野さんは、今もなお完全には癒えていない傷のについてこう語った。
「いや、ほんとにあっという間だなっていうね。僕はおじいちゃんになりましたし、やっぱり30年経ったら(神戸の復興や子供の成長など)こんなんなるんだっていう。ただ、こうやって見て、復興したように思うけど。まだまだね、心の中にはいろいろ大変な人もいると思うので、まだ終わりじゃないんだろうなという感じはします」
建物やインフラが整備され、「過去の出来事」となりつつある震災の記憶。しかし、風化を防ぐためにも今回のような取り組みの継続が大切だ。
『神戸シリーズ2025~がんばろう神戸 30th~』は、今後もほっともっとフィールド神戸で7月4日、5日、17日、そして8月27日まで計6試合を予定。試合では当時の応援歌が数イニング限定で復活するほか、ブルーウェーブOBが来場。また当時の雰囲気を体感できるユニフォームやビジョン演出も展開される。
あの年、野球がくれた「希望の光」を未来へ──。30年目の今こそ、再び球場で体感してほしい。
文●野口航志
著者プロフィール:野口航志(ノグチコウジ) 1984年、神戸市生まれ。岡山大学卒業。記者とカメラマンの『二刀流』。プロ野球を中心に、社会人野球やプロレス・ボクシングなどの取材や撮影に携わる。オリックスブレーブス時代からのオリックスファン。
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