西武の新助っ人タイラー・ネビンが開幕から活躍を続けている。打席では無類の勝負強さを発揮し、5月には月間MVPを受賞。ガッツあふれるプレースタイルも評価され、早くも6月下旬には2年の延長契約を結んだことが発表された。
【記事】熱いガッツポーズは「努力している仲間の成功を喜ぶため」異例の早さで延長契約を勝ち取った西武の新助っ人ネビンの魅力<SLUGGER>
タイラー・ネビンという選手を語る上で、絶対に避けては通れないのが父フィルの存在だ。1992年のドラフト全体1位指名でプロ入りし、メジャー通算12年間で208本塁打。2001年にはオールスターにも選ばれるなど、輝かしい実績を残した。引退後は指導者に転身し、ヤンキースの三塁コーチを経て、22年途中から23年までは大谷翔平擁するエンジェルスの監督も務めた。ネビンは生粋のサラブレッドなのだ。
もちろん、親子の関係は深い。今年5月には父が来日し、異国の地で奮闘する息子の姿を見届けた。
「知っての通り、父は元選手で今も球界にいるわけだけど、僕も含めて2人とも根はベースボールファンなんだ。だから、父も新しいベースボールを学ぶことができて喜んでいると思う」
感情を前面に押し出すプレースタイルも共通している。
「そうだね。確かに似ている部分はたくさんあると思う。つまるところ、ベースボールをプレーすること、競い合うことが好きという点に尽きるんだろうね。試合が盛り上がれば盛り上がるほど、エネルギーも感情も昂ってくるんだ」
父の後を追い、15年ドラフト1巡目(全体38位)でプロ入りしたネビン(ちなみに、父子とも1巡目で指名されたのは史上10組目の快挙だった)だが、メジャーデビューまでには6年近い月日を要した。 21年5月29日のホワイトソックス戦。当時オリオールズに在籍していたネビンはついに夢を叶えた。メジャー初打席で、元サイ・ヤング賞投手にして昨季ロッテに在籍したダラス・カイケルから二塁打。だが、その歓喜の瞬間に、息子のメジャー昇格を長く待ち侘びていた父の姿はなかった。何ともタイミングが悪いことに、新型コロナウイルスに加えて細菌感染症も患っていたのだ。
「僕が昇格の知らせを受けた時、父は退院したばかりで、球場には来られなかった。すごく残念だったね。というのも、ヤンキースとの契約で、僕がメジャーデビューする時には2日間チームを離脱していい条項を入れてもらっていたんだ」
だが翌年、父が指揮を執るエンジェルスとオリオールズが対戦した際に、親子で試合前のラインナップカードを交換。メジャーリーグのフィールドという最高の場で“再会”を果たした。
それは、ネビンのキャリアの中でも最も輝かしい瞬間の一つだったに違いない。一方で、試合ではなかなか思うような結果が出なかった。メジャーとマイナーを頻繁に行き来し、移籍を繰り返す日々は、肉体的にも精神的にも決して楽ではなかったはずだ。
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タイラー・ネビンという選手を語る上で、絶対に避けては通れないのが父フィルの存在だ。1992年のドラフト全体1位指名でプロ入りし、メジャー通算12年間で208本塁打。2001年にはオールスターにも選ばれるなど、輝かしい実績を残した。引退後は指導者に転身し、ヤンキースの三塁コーチを経て、22年途中から23年までは大谷翔平擁するエンジェルスの監督も務めた。ネビンは生粋のサラブレッドなのだ。
もちろん、親子の関係は深い。今年5月には父が来日し、異国の地で奮闘する息子の姿を見届けた。
「知っての通り、父は元選手で今も球界にいるわけだけど、僕も含めて2人とも根はベースボールファンなんだ。だから、父も新しいベースボールを学ぶことができて喜んでいると思う」
感情を前面に押し出すプレースタイルも共通している。
「そうだね。確かに似ている部分はたくさんあると思う。つまるところ、ベースボールをプレーすること、競い合うことが好きという点に尽きるんだろうね。試合が盛り上がれば盛り上がるほど、エネルギーも感情も昂ってくるんだ」
父の後を追い、15年ドラフト1巡目(全体38位)でプロ入りしたネビン(ちなみに、父子とも1巡目で指名されたのは史上10組目の快挙だった)だが、メジャーデビューまでには6年近い月日を要した。 21年5月29日のホワイトソックス戦。当時オリオールズに在籍していたネビンはついに夢を叶えた。メジャー初打席で、元サイ・ヤング賞投手にして昨季ロッテに在籍したダラス・カイケルから二塁打。だが、その歓喜の瞬間に、息子のメジャー昇格を長く待ち侘びていた父の姿はなかった。何ともタイミングが悪いことに、新型コロナウイルスに加えて細菌感染症も患っていたのだ。
「僕が昇格の知らせを受けた時、父は退院したばかりで、球場には来られなかった。すごく残念だったね。というのも、ヤンキースとの契約で、僕がメジャーデビューする時には2日間チームを離脱していい条項を入れてもらっていたんだ」
だが翌年、父が指揮を執るエンジェルスとオリオールズが対戦した際に、親子で試合前のラインナップカードを交換。メジャーリーグのフィールドという最高の場で“再会”を果たした。
それは、ネビンのキャリアの中でも最も輝かしい瞬間の一つだったに違いない。一方で、試合ではなかなか思うような結果が出なかった。メジャーとマイナーを頻繁に行き来し、移籍を繰り返す日々は、肉体的にも精神的にも決して楽ではなかったはずだ。
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