「九死に一生を得た」と言っては言いすぎか。
開幕から二軍スタートで出番のなかった佐藤龍世(西武)が金銭トレードで中日へ移籍した。移籍当日に一軍登録されてさっそくスタメン出場。いきなり打点を挙げるなど活躍した。出場機会が得られなかった元気者がようやく出番をもらった。
「新天地でまた野球ができる嬉しさと喜びがありますし、しっかりやりたいなと思います。急ではあったので複雑な気持ちもありましたけど、楽しみの方が強かったです」
入団記者会見でそう意気込みを語ったが、本人からしてみれば2025年シーズンがようやくスタートしたという気持ちでいるに違いない。
今シーズンは、佐藤にとってとても重要なシーズンだった。西武では中堅世代にあたり、昨季の記録的惨敗から立ち直る上で中心選手としての期待もあった。だが、二塁手だった外崎修汰が三塁へコンバート。同じ富士大の先輩と争うことを嫌がった佐藤は外野への転向を考えたが、球団は固辞。本職の三塁で勝負をかけることになった。
思いきりのいい打撃と優れた選球眼、追い込まれてからの粘りも佐藤龍の真骨頂だ。三塁守備は安定感が高く、もともとは捕手ということもあって、投手に声をかけるタイミングを心得ている。
昨年から背番号「10」をまとい、中心選手としてチームを引っ張っていく存在になるという矢先、オープン戦中に大チョンボを犯した。集合場所の空港に現れず、ホテルにも姿はなく、それが首脳陣の逆鱗に触れた。二軍ではなく三軍落ち。「遅刻したんで三軍に行ってもらいました。自分がどんな立場か分かっていない」。西口文也監督の厳しい言葉がことの重大性を物語っていた。一時期の懲罰かと思いきや、開幕して2ヵ月以上が過ぎても佐藤龍に声がかかることはなかった。それだけ、失われた信用は大きかった。
それもあってか、移籍決定直後も佐藤に関する情報は悪評が目についた。過去のスピード違反と今季の遅刻で「素行の悪い選手」というイメージがついてしまったようだ。
ただ、取材している人間からすると、佐藤に素行の悪さは感じない。メディア対応はとても紳士的だし、そして、何より野球に対する取り組みが素晴らしい。「チーム一の練習の虫」と言ってもいい選手なのだ。
思い起こすは23年シーズンのことだ。日本ハムから復帰し、開幕一軍入りした佐藤だったが、その序列はかなり低いものだった。中村剛也がまだ三塁手として君臨していたし、一塁には山川穂高(現ソフトバンク)や助っ人のマキノンもいた。
それでも、守備に定評のあった佐藤はベンチには必要なピースでもあった。緊急時に備えて捕手の練習もこなし、ファームの試合でマスクをかぶったこともあった。自らの立場をよく理解し、常に試合に出るための準備を怠らない――それが佐藤だった。
練習量も並大抵ではなかった。必ず練習開始時間のかなり前から球場入りするのはもちろん。試合後も室内にこもって練習に励む。それが佐藤の日課だった。
開幕から二軍スタートで出番のなかった佐藤龍世(西武)が金銭トレードで中日へ移籍した。移籍当日に一軍登録されてさっそくスタメン出場。いきなり打点を挙げるなど活躍した。出場機会が得られなかった元気者がようやく出番をもらった。
「新天地でまた野球ができる嬉しさと喜びがありますし、しっかりやりたいなと思います。急ではあったので複雑な気持ちもありましたけど、楽しみの方が強かったです」
入団記者会見でそう意気込みを語ったが、本人からしてみれば2025年シーズンがようやくスタートしたという気持ちでいるに違いない。
今シーズンは、佐藤にとってとても重要なシーズンだった。西武では中堅世代にあたり、昨季の記録的惨敗から立ち直る上で中心選手としての期待もあった。だが、二塁手だった外崎修汰が三塁へコンバート。同じ富士大の先輩と争うことを嫌がった佐藤は外野への転向を考えたが、球団は固辞。本職の三塁で勝負をかけることになった。
思いきりのいい打撃と優れた選球眼、追い込まれてからの粘りも佐藤龍の真骨頂だ。三塁守備は安定感が高く、もともとは捕手ということもあって、投手に声をかけるタイミングを心得ている。
昨年から背番号「10」をまとい、中心選手としてチームを引っ張っていく存在になるという矢先、オープン戦中に大チョンボを犯した。集合場所の空港に現れず、ホテルにも姿はなく、それが首脳陣の逆鱗に触れた。二軍ではなく三軍落ち。「遅刻したんで三軍に行ってもらいました。自分がどんな立場か分かっていない」。西口文也監督の厳しい言葉がことの重大性を物語っていた。一時期の懲罰かと思いきや、開幕して2ヵ月以上が過ぎても佐藤龍に声がかかることはなかった。それだけ、失われた信用は大きかった。
それもあってか、移籍決定直後も佐藤に関する情報は悪評が目についた。過去のスピード違反と今季の遅刻で「素行の悪い選手」というイメージがついてしまったようだ。
ただ、取材している人間からすると、佐藤に素行の悪さは感じない。メディア対応はとても紳士的だし、そして、何より野球に対する取り組みが素晴らしい。「チーム一の練習の虫」と言ってもいい選手なのだ。
思い起こすは23年シーズンのことだ。日本ハムから復帰し、開幕一軍入りした佐藤だったが、その序列はかなり低いものだった。中村剛也がまだ三塁手として君臨していたし、一塁には山川穂高(現ソフトバンク)や助っ人のマキノンもいた。
それでも、守備に定評のあった佐藤はベンチには必要なピースでもあった。緊急時に備えて捕手の練習もこなし、ファームの試合でマスクをかぶったこともあった。自らの立場をよく理解し、常に試合に出るための準備を怠らない――それが佐藤だった。
練習量も並大抵ではなかった。必ず練習開始時間のかなり前から球場入りするのはもちろん。試合後も室内にこもって練習に励む。それが佐藤の日課だった。