後半戦は7本塁打、26打点と対照的な結果だったが、最後の4試合連続で5本塁打、10打点)と爆発し、ポストシーズンでも全8試合中、7試合で3本塁打を含む7安打、5打点を記録した。
そのおかげで、「魔の2ヵ月」を過ごしたにも関わらず、日本人では大谷翔平(ドジャース)、松井秀喜氏(元ヤンキースほか)しか達成したことのない、シーズン30本塁打以上&100打点以上に到達。32本塁打は日本人歴代6位で、松井秀の自己最多記録である31本塁打を抜いて、上には大谷のみという「絶対領域」に足を踏み入れた。
ちなみに日米合算での通算269本塁打は、日本プロ野球のみで記録した柳田悠岐(ソフトバンク)の268本塁打を抜いて、オリックスや阪神で活躍した石嶺和彦氏と並ぶ歴代62位タイ。同858打点はオリックスなどで活躍した松永浩美氏の855打点を抜いた。
それだけでも十分なのだが、忘れてはならないことが一つある。
それは彼が大きな怪我なく、シーズンを乗り切ったということだ。1年目は左手薬指、2年目は左脇腹、3年目は右脇腹を傷めるなどして、故障者リスト(IL)入り。今年も小さな怪我はいくつもあったし、体調を崩して数試合に出られなくなる時期もあったが、メジャー移籍後最多の151試合に出場したのは、一つの勲章と言ってもいい。
「フルシーズン出たことがなかったんで、それはやっぱり長く感じた。細かい怪我はあったけど、それは誰にでもあること。それでも試合には出ていたし、オフの間からずっとフル出場することを目標にやっていたんで。あれだけ打てなくなってもずっとスタメンで使ってもらってたわけで、そこは良かったと思う」
最終戦でも本塁打を放った鈴木とは違い、今永は登板機会がないまま、ブルペンで試合終了を見届けた。
「行くとしたら早い段階でってところで、相手の打線もジグザグなので、いつ、どこで投げるっていうのは言えないってのはあった。(ブルペン待機は)初めての経験ではあったんですけど、とにかく絶えず身体を動かして、いつ電話が鳴っても行けと言われれば行く準備はしてました」
シーズン終盤からポストシーズンにかけて、鈴木の「魔の2ヵ月」に匹敵するほどのスランプに陥った。前半戦は左太腿裏の張りでIL入りしたものの、12試合に投げて6勝3敗、防御率2.65と昨季を思わせる好成績を残したのに、後半戦は13試合で3勝5敗、防御率4.70と失速したのだ。9月の5試合は10被本塁打、21失点(自責点20)の防御率6点台と低調で、それはポストシーズンに入っても続いた。
パドレスとのワイルドカード・シリーズ第2戦では、チームがオープナーを立てた関係で2番手として登板し、4回3安打2失点。ブルワーズとの地区シリーズでは先発に復帰したものの、初回に失点するシーズン終盤の登板が再現されての3回途中5安打4失点で、どちらの試合も課題の本塁打を献上し、チームの信頼を失くした形だ。
「シーズンの最後とポストシーズンであまりチームの力になれなかった。シーズンを乗り切る投球術と、ポストシーズンで先発なら(速球を)94とか95マイル出せるような、出力を上げる別の投球がまったくできなかったので、それが出来なかったのが課題かなと思う」
実は成績の良かった前半戦から、彼はすでにいくつかの悪い兆候を、データ解析から感じ取っていたという。
「正直言って、通用しなくなっている、それは紛れもない事実なので。これは体感ではなく、いろんな数字を見た事実。正直言って、今と別人にならなければ、この世界で生き抜くにはちょっと苦しいかもしれない」
そのおかげで、「魔の2ヵ月」を過ごしたにも関わらず、日本人では大谷翔平(ドジャース)、松井秀喜氏(元ヤンキースほか)しか達成したことのない、シーズン30本塁打以上&100打点以上に到達。32本塁打は日本人歴代6位で、松井秀の自己最多記録である31本塁打を抜いて、上には大谷のみという「絶対領域」に足を踏み入れた。
ちなみに日米合算での通算269本塁打は、日本プロ野球のみで記録した柳田悠岐(ソフトバンク)の268本塁打を抜いて、オリックスや阪神で活躍した石嶺和彦氏と並ぶ歴代62位タイ。同858打点はオリックスなどで活躍した松永浩美氏の855打点を抜いた。
それだけでも十分なのだが、忘れてはならないことが一つある。
それは彼が大きな怪我なく、シーズンを乗り切ったということだ。1年目は左手薬指、2年目は左脇腹、3年目は右脇腹を傷めるなどして、故障者リスト(IL)入り。今年も小さな怪我はいくつもあったし、体調を崩して数試合に出られなくなる時期もあったが、メジャー移籍後最多の151試合に出場したのは、一つの勲章と言ってもいい。
「フルシーズン出たことがなかったんで、それはやっぱり長く感じた。細かい怪我はあったけど、それは誰にでもあること。それでも試合には出ていたし、オフの間からずっとフル出場することを目標にやっていたんで。あれだけ打てなくなってもずっとスタメンで使ってもらってたわけで、そこは良かったと思う」
最終戦でも本塁打を放った鈴木とは違い、今永は登板機会がないまま、ブルペンで試合終了を見届けた。
「行くとしたら早い段階でってところで、相手の打線もジグザグなので、いつ、どこで投げるっていうのは言えないってのはあった。(ブルペン待機は)初めての経験ではあったんですけど、とにかく絶えず身体を動かして、いつ電話が鳴っても行けと言われれば行く準備はしてました」
シーズン終盤からポストシーズンにかけて、鈴木の「魔の2ヵ月」に匹敵するほどのスランプに陥った。前半戦は左太腿裏の張りでIL入りしたものの、12試合に投げて6勝3敗、防御率2.65と昨季を思わせる好成績を残したのに、後半戦は13試合で3勝5敗、防御率4.70と失速したのだ。9月の5試合は10被本塁打、21失点(自責点20)の防御率6点台と低調で、それはポストシーズンに入っても続いた。
パドレスとのワイルドカード・シリーズ第2戦では、チームがオープナーを立てた関係で2番手として登板し、4回3安打2失点。ブルワーズとの地区シリーズでは先発に復帰したものの、初回に失点するシーズン終盤の登板が再現されての3回途中5安打4失点で、どちらの試合も課題の本塁打を献上し、チームの信頼を失くした形だ。
「シーズンの最後とポストシーズンであまりチームの力になれなかった。シーズンを乗り切る投球術と、ポストシーズンで先発なら(速球を)94とか95マイル出せるような、出力を上げる別の投球がまったくできなかったので、それが出来なかったのが課題かなと思う」
実は成績の良かった前半戦から、彼はすでにいくつかの悪い兆候を、データ解析から感じ取っていたという。
「正直言って、通用しなくなっている、それは紛れもない事実なので。これは体感ではなく、いろんな数字を見た事実。正直言って、今と別人にならなければ、この世界で生き抜くにはちょっと苦しいかもしれない」
関連記事
- 松井秀喜氏を抜く32本塁打で“シン・ゴジラ”へ――「野球人生最悪」の不振を乗り越えて鈴木誠也が勝ち取った勲章<SLUGGER>
- 「心の内側で自分を許す気持ちがあっていい」カブス今永昇太が『ハリー・ポッター』から学んだ“米国式マインドセット”<SLUGGER>
- 大谷翔平、MVPトロフィーのネーム刻印上に「『チームの努力』と書かれたボード」 LA記者の投稿にネット興味津々「謙虚すぎない?」「大谷がやったことじゃないなら...」
- ベッツ、大谷翔平の歴史的一戦に「水を差すつもりはないけど...」 視線はすでに球団史上初WS連覇へ「集中しなければ」「準備万端」
- 「見たら拗ねますよ」ミスターパーフェクトがPOのMVP大谷翔平に“異議”? ドジャースで最も評価するのは3戦全勝の好投手!「いるのは、すごくありがたい」




