―― 1992年に一軍デビューされて、一番印象に残っているシーンをぜひ教えていただければ。
「今日を除いてですよね? この後、時間が経ったら、今日が一番、真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただ、それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。今日の瞬間なんかを体験すると、小さく見えてしまうんですよね。その点で、まあ例えば『10年200本(安打)』続けてきたこととか、『MVP取った』とか『オールスターでどうたら』っていうことは、小さなことに過ぎないと思います。
今日、あの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど。それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録は、いずれ誰かが抜いていくと思うんですけれども。去年の5月からシーズン最後までのあの日々は、ひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというふうな、ささやかな誇りを生んだ日々でもあったんですね。だからそのことが、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思えます」
―― イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは何でしょう。
「野球のことを愛したことだと思います。これは変わることがなかったですね。
……おかしなこと言ってます、僕? 大丈夫?」
―― (ケン・)グリフィーJr.が「肩のものを下ろした時、違う野球が見えて、また楽しくなる」という話をされたんですけども、そういう瞬間っていうのはあったんでしょうか。
「プロ野球生活の中でですか? ないですね。これはないです。ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、一軍を行ったり二軍に行ったり、そういう状態でやってる野球は結構、楽しかったんですよ。94年、3年目ですね。仰木(彬)監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけど。この年まででしたね。楽しかったのは。あとは何かね、その頃から急に番付上げられちゃって一気に。もうず
っと、それはしんどかったです。
やっぱり、力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。だからそこからはね、もう純粋に楽しいなんてことは。もちろんやり甲斐があって達成感を味わうこと、満足感を味わうこと、たくさんありました。ただ、じゃあ楽しいかっていうと、それとは違うんですよね。でも、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球がやりたいなと。
ま、これは皮肉なもので。プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球を夢見ている自分が、ある時から存在したんですね。でも、これは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかと思っているので。ま、これからはそんな野球をやってみたいなというふうな思いですね。……おかしな
こと言ってます、僕? 大丈夫?」
―― この開幕シリーズをイチロー選手は「大きなギフト」とおっしゃっていました。今回、私たちの方が大きなギフトをもらったような気持ちでいるんです……。
「そんなアナウンサーっぽいこと言わないでくださいよ」
―― そんな。でも、イチロー選手、これからどんなギフトを私たちにくださるんでしょう?
「ないですよ、そんなの。無茶言わないでくださいよ。でもこれ、ほんとに大きなギフトで。ま、去年、3月の頭にマリナーズからオファーをいただいてからの今日までの大きな流れがあるんですけれども。去年の春に終わっていても、まったくおかしくない状況でしたから。もう、今この状況が信じられないですよ。
あの時、考えていたのは、まあ自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所っていうのが神戸の球場なんですけれども。そこで寒い時期に練習するので。こう、へこむんですよね。やっぱ心折れるんですよ。でもまぁ、そんな時も仲間に支えられてやってきたんですけど。最後は今まで、自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場でひっそりと終わるのかなぁって想像していたので。もう夢みたいですよ、こんなの。これも大きなギフトです。僕にとっては。質問に答えてないですけど、僕からのギフトなんてないです」
「今日を除いてですよね? この後、時間が経ったら、今日が一番、真っ先に浮かぶことは間違いないと思います。ただ、それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではないというか。今日の瞬間なんかを体験すると、小さく見えてしまうんですよね。その点で、まあ例えば『10年200本(安打)』続けてきたこととか、『MVP取った』とか『オールスターでどうたら』っていうことは、小さなことに過ぎないと思います。
今日、あの舞台に立てたことというのは、去年の5月以降ゲームに出られない状況になって、その後もチームと一緒に練習を続けてきたわけですけど。それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録は、いずれ誰かが抜いていくと思うんですけれども。去年の5月からシーズン最後までのあの日々は、ひょっとしたら誰にもできないことかもしれないというふうな、ささやかな誇りを生んだ日々でもあったんですね。だからそのことが、どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思えます」
―― イチロー選手が貫いたもの、貫けたものは何でしょう。
「野球のことを愛したことだと思います。これは変わることがなかったですね。
……おかしなこと言ってます、僕? 大丈夫?」
―― (ケン・)グリフィーJr.が「肩のものを下ろした時、違う野球が見えて、また楽しくなる」という話をされたんですけども、そういう瞬間っていうのはあったんでしょうか。
「プロ野球生活の中でですか? ないですね。これはないです。ただ、子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、一軍を行ったり二軍に行ったり、そういう状態でやってる野球は結構、楽しかったんですよ。94年、3年目ですね。仰木(彬)監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけですけど。この年まででしたね。楽しかったのは。あとは何かね、その頃から急に番付上げられちゃって一気に。もうず
っと、それはしんどかったです。
やっぱり、力以上の評価をされるというのはとても苦しいですよね。だからそこからはね、もう純粋に楽しいなんてことは。もちろんやり甲斐があって達成感を味わうこと、満足感を味わうこと、たくさんありました。ただ、じゃあ楽しいかっていうと、それとは違うんですよね。でも、そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球がやりたいなと。
ま、これは皮肉なもので。プロ野球選手になりたいという夢が叶った後は、そうじゃない野球を夢見ている自分が、ある時から存在したんですね。でも、これは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球を楽しむことはできないのではないかと思っているので。ま、これからはそんな野球をやってみたいなというふうな思いですね。……おかしな
こと言ってます、僕? 大丈夫?」
―― この開幕シリーズをイチロー選手は「大きなギフト」とおっしゃっていました。今回、私たちの方が大きなギフトをもらったような気持ちでいるんです……。
「そんなアナウンサーっぽいこと言わないでくださいよ」
―― そんな。でも、イチロー選手、これからどんなギフトを私たちにくださるんでしょう?
「ないですよ、そんなの。無茶言わないでくださいよ。でもこれ、ほんとに大きなギフトで。ま、去年、3月の頭にマリナーズからオファーをいただいてからの今日までの大きな流れがあるんですけれども。去年の春に終わっていても、まったくおかしくない状況でしたから。もう、今この状況が信じられないですよ。
あの時、考えていたのは、まあ自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所っていうのが神戸の球場なんですけれども。そこで寒い時期に練習するので。こう、へこむんですよね。やっぱ心折れるんですよ。でもまぁ、そんな時も仲間に支えられてやってきたんですけど。最後は今まで、自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場でひっそりと終わるのかなぁって想像していたので。もう夢みたいですよ、こんなの。これも大きなギフトです。僕にとっては。質問に答えてないですけど、僕からのギフトなんてないです」