ポジション別に見ると、センターだけは満場一致。1990年代最高のスーパースターとして活躍したケン・グリフィーJr.だ。選者のうち、サバシア以外の4人は91~95年に生まれた。物心ついた時、スーパースターとして最初に覚えた選手がグリフィーJr.だったのかもしれない。中でもスネルはシアトル出身だけに、マリナーズで長く活躍した“ザ・キッド”には特に思い入れが強いはずだ。ちなみに80年生まれのサバシアはグリフィーJr.とメジャーの舞台で対戦したことがある。結果は17打数4安打の打率.235、本塁打は打たれなかった。
次いで共通する選手が多いのは三塁手と遊撃手、ライトだ。それぞれ3人が、チッパー・ジョーンズとデレク・ジーター、ハンク・アーロンを揃って挙げた。アレックス・ロドリゲスではなくジーターが選ばれているのは、やはり大舞台の強さが印象深いからだろう。「マスト・ウィン」の試合にはやはりA-RODよりジーターの方がふさわしい。
意外にも、ベーブ・ルースは誰からも選ばれていない。一塁手のルー・ゲーリッグ(スネル選出)とジミー・フォックス(ハーパー選出)は、ルースと同時代に活躍した選手であることを考えると、なおさら興味深い。ゲーリッグはヤンキースでルースとともにプレーし、31年は2人で本塁打王を分け合った。その翌年と翌々年は、フォックスがア・リーグ1位、ルースが2位だった。
ハーパーの選出もいろいろな意味で興味深い。まず、シュミット、アトリー、リー、マニエルとフィリーズと縁が深い選手を多く選んでいる点。マントルはハーパーが幼い頃から憧れていた選手で、ナショナルズ時代の背番号34には「3+4=マントルの背番号7」という意味が込められている。また、捕手に選んだジョシュ・ギブソンは、メジャーリーグではプレーしていない選手だ。1930~40年代にニグロリーグで活躍したギブソンは“黒いベーブ・ルース”の異名を取った強打者で、非公式ながら通算800~1000本のホームランを打ったという伝説を残している。
次いで共通する選手が多いのは三塁手と遊撃手、ライトだ。それぞれ3人が、チッパー・ジョーンズとデレク・ジーター、ハンク・アーロンを揃って挙げた。アレックス・ロドリゲスではなくジーターが選ばれているのは、やはり大舞台の強さが印象深いからだろう。「マスト・ウィン」の試合にはやはりA-RODよりジーターの方がふさわしい。
意外にも、ベーブ・ルースは誰からも選ばれていない。一塁手のルー・ゲーリッグ(スネル選出)とジミー・フォックス(ハーパー選出)は、ルースと同時代に活躍した選手であることを考えると、なおさら興味深い。ゲーリッグはヤンキースでルースとともにプレーし、31年は2人で本塁打王を分け合った。その翌年と翌々年は、フォックスがア・リーグ1位、ルースが2位だった。
ハーパーの選出もいろいろな意味で興味深い。まず、シュミット、アトリー、リー、マニエルとフィリーズと縁が深い選手を多く選んでいる点。マントルはハーパーが幼い頃から憧れていた選手で、ナショナルズ時代の背番号34には「3+4=マントルの背番号7」という意味が込められている。また、捕手に選んだジョシュ・ギブソンは、メジャーリーグではプレーしていない選手だ。1930~40年代にニグロリーグで活躍したギブソンは“黒いベーブ・ルース”の異名を取った強打者で、非公式ながら通算800~1000本のホームランを打ったという伝説を残している。