▼4位 山崎康晃
シーンに登場したのは10年代も半ばになってからだが、印象度・実績とも文句なし。15年にルーキーでは史上最多の37セーブを挙げて新人王を受賞すると、18、19年と2年連続でセーブ王に輝いた。代名詞の魔球ツーシームと、ハマスタ名物になった“ヤスアキジャンプ”を浸透させながら、実働5年で10年代3位タイとなる163セーブを積み重ねた。17年の稲葉篤紀監督就任後は侍ジャパンにも皆勤中。
▼5位 松井裕樹
躍動感あふれるフォームから、回転数の多い速球と切れ味鋭いチェンジアップ、スライダーを繰り出して打者をなで斬り。救援に転向したプロ2年目から奪三振率が毎年2ケタを超え、17年には3者連続3球三振も記録した。一方、与四球率4.38は通算20セーブ以上の投手でワースト。豪胆な投球の陰で、変化球の割合や球速に微妙なさじ加減を加えながら史上最年少で通算100セーブに到達している。19年は初のセーブ王に輝いたが、今季から再び先発に戻る。
▼6位 藤川球児
13~15年のMLB挑戦は1年目にトミー・ジョン手術を受けたこともあり成功しなかった。しかし、日本球界では常に一流の座を維持し続け、10年代の奪三振率11.74はサファテに次いで救援投手2位、防御率2.28は3位。11年に最多セーブのタイトルを得て、日本復帰後の17年には歴代最少の投球回で通算1000奪三振を達成。19年に打ち立てた史上初150セーブ&150ホールドの記念碑も、名球会入り(残り9セーブ)への通過点か。
▼7位 岩瀬仁紀
10年と12年に最多セーブのタイトルを獲得するなど、ディケイド前半は活躍を継続。10~13年は毎年30セーブ以上を稼ぎ、防御率は最も悪い年でも2.29に抑えた。その後は左ヒジの故障に苦しんだが、17年に再び50登板をこなしてカムバック賞を受賞。プロ野球史上最高級のクローザーは、1002登板、407セーブの日本記録を打ち立て、18年限りで20年間に及ぶ現役生活に別れを告げた。
シーンに登場したのは10年代も半ばになってからだが、印象度・実績とも文句なし。15年にルーキーでは史上最多の37セーブを挙げて新人王を受賞すると、18、19年と2年連続でセーブ王に輝いた。代名詞の魔球ツーシームと、ハマスタ名物になった“ヤスアキジャンプ”を浸透させながら、実働5年で10年代3位タイとなる163セーブを積み重ねた。17年の稲葉篤紀監督就任後は侍ジャパンにも皆勤中。
▼5位 松井裕樹
躍動感あふれるフォームから、回転数の多い速球と切れ味鋭いチェンジアップ、スライダーを繰り出して打者をなで斬り。救援に転向したプロ2年目から奪三振率が毎年2ケタを超え、17年には3者連続3球三振も記録した。一方、与四球率4.38は通算20セーブ以上の投手でワースト。豪胆な投球の陰で、変化球の割合や球速に微妙なさじ加減を加えながら史上最年少で通算100セーブに到達している。19年は初のセーブ王に輝いたが、今季から再び先発に戻る。
▼6位 藤川球児
13~15年のMLB挑戦は1年目にトミー・ジョン手術を受けたこともあり成功しなかった。しかし、日本球界では常に一流の座を維持し続け、10年代の奪三振率11.74はサファテに次いで救援投手2位、防御率2.28は3位。11年に最多セーブのタイトルを得て、日本復帰後の17年には歴代最少の投球回で通算1000奪三振を達成。19年に打ち立てた史上初150セーブ&150ホールドの記念碑も、名球会入り(残り9セーブ)への通過点か。
▼7位 岩瀬仁紀
10年と12年に最多セーブのタイトルを獲得するなど、ディケイド前半は活躍を継続。10~13年は毎年30セーブ以上を稼ぎ、防御率は最も悪い年でも2.29に抑えた。その後は左ヒジの故障に苦しんだが、17年に再び50登板をこなしてカムバック賞を受賞。プロ野球史上最高級のクローザーは、1002登板、407セーブの日本記録を打ち立て、18年限りで20年間に及ぶ現役生活に別れを告げた。